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大ナゴヤノート.
中村遊郭
2019年03月20日

名古屋駅から西へふらり。そこで出会った新しい名古屋の景色

名古屋のまちなかをゆっくり歩いたことがありますか。

いつも何気なく歩いてるまちでも、ふと、今まで目を向けなかったところへ目を凝らしてみると新しい発見があります。

栄、伏見、名古屋駅、大須などのまちの中心部でも、普段はあまり目にとめない昔ながらの喫茶店や和菓子屋さんを意識してまちを見つめるだけで、「こんなお店がまちなかにあったのか」と気づかされます。

もう少し広い視点で名古屋のまちを眺めてみると、千種区、守山区、昭和区、瑞穂区など市内に16区もあり、まだまだ知らないエリアもたくさんあるのではないでしょうか。

さらに各区をじっくりと見つめてみると、特色のあるエリアがいくつも見えてきます。例えば、千種区には、覚王山、星ヶ丘、本山、今池、東山動植物園などエリアごとに特徴が異なります。

中でも名古屋駅のイメージが色濃い中村区を見つめてみると、どんな風景が見えてくるのでしょう。

今回は、名古屋駅から西へふらりと歩いてみました。

名古屋駅

名古屋駅の太閤通口(新幹線の乗り場がある方面)から西へ歩き出すと、まずはビックカメラ、さらに名古屋の映画カルチャーを発信しているシネマスコーレが見えてきました。このあたりは、魚屋さん、八百屋さん、お肉屋さんがあったり、夜には外で立ち飲みできるお店もあったり、にぎわいを感じられます。

シネマスコーレ

さらに西に歩いていくと…

駅西銀座

「駅西銀座」という看板を発見!

駅西銀座通商店街

ここは、名古屋駅西銀座通商店街。

中華料理屋、喫茶店、呉服店、たこ焼き屋に、銭湯もあって、名古屋駅から歩いていける距離に、なんだか不思議な感覚がするエリアがありました。

銭湯

まちの成り立ちが書かれた看板を見つけました。

このエリアは、名古屋駅が「ささしま」から今の位置に移転した1937年(昭和12年)に整備され、日赤病院や大門への道として昭和30年代には車や人でにぎわっていたのだとか。

看板

看板に書かれている大門という場所を目指してさらに西へ。

途中、今は閉まっているけれど、かつてはお店だった面影をたくさんみつけることができ、歩いて楽しいエリアだっだのだろうなと、その頃の情景が浮かんできます。

大門通り

大門通り

大門通り

大門に到着すると、これまでのエリアと違い、大きな木造の建築物や風俗店が目に入ってきます。

遊郭建築

遊郭

江戸時代には田畑だったこの地に、1923年(大正12年)に大須にあった遊郭が移転し一大歓楽街となりました。名古屋市街地の発展に伴い、まちの中心部に風紀上の問題が論ぜられるようになり、大須からの移転を余儀なくされたのだとか。

その後、1958年(昭和33年)の売春防止法という法律が施行され、多くは旅館などへの転業を迫られ、そこからはにぎわいが戻らず……。

大門界隈を歩いていると、かつては遊郭だった面影が残っている建物をみつけることができました。リノベーションしてそば屋さんになっているお店もありました。

遊郭

遊郭

大門の遊郭は、東京の吉原を模した造りの廓。外周を幅一間の堀で囲み、四隅の道は斜めにすることで廓の外周を不等辺八角形とし、外から中の様子をのぞくことができないようになっています。外周の掘の部分は、今でもなんとなく面影が残っていました。

遊郭

遊郭

他にも、横丁的な飲屋街がいくつもあったり、素敵な喫茶店があったりと、まだまだ話は尽きませんが、今日はこのくらいで。

大門

まちをよく見つめながら歩いていると、お店、建築物、お地蔵さん、神社仏閣、地形など、どこか違和感を感じるポイントがあります。

皆さんも、そんな自分の中の「おや?」を手がかりに、まちを楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

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まちの人に連れられて、一緒に「いいな」を見つけにいく「オープンノート.」という企画もはじまります。

初回は、「大正~昭和にかけて日本最大級となった遊郭があったまち大門」を巡ります。

大野 嵩明

名古屋市西区生まれ。社会人インターンシップで石川県七尾市にあるまちづくり会社での活動を通じて、地域の魅力を伝えていく仕事の楽しさと大変さを知る。名古屋に戻ってからは、ナゴヤの魅力を発信し、面白くしていこうと活動。まちをみる視点を日々更新中。
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