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大ナゴヤノート.
中日ビル
2019年04月03日

文字から見つめる。ここにあった中日ビルの風景

閉館を迎えた中日ビルを大ナゴヤノート.のエディター3人で歩いてきました。それぞれが見つめた中日ビルの姿をみっつの記事で掲載します(他の記事へのリンクはこの記事の最後にも)。

中日ビルは、2019年3月31日で営業を終え、建て替えられます。

1966年に完成した地上12階建てのビルの中には、いったいどんな記憶が刻まれているのだろうか。

中日ビルを意識して見るようになったのは、まちじゅうをキャンパスに見立てて活動する大ナゴヤ大学で開催された「名古屋の魅惑のモザイク壁画〜みんなで眺めてまち歩き!〜」で、1階の天井にあるモザイク壁画の存在を知ったことがきっかけです。

この企画は、「大ナゴヤノート.」でも記事として取り上げられたモザイク愛好家の森上さんがコーディネートしたものでした。

閉館にともない「中日ビルさよならイベント」として、館内見学会が開催されていたので行ってきました。

さよならイベント

最初に向かった場所は、屋上。 回転レストラン「ばるーん」が特徴的な場所です。

開店レストランン

夏になると屋上は、ビアガーデンで盛り上がります。

そこにあった看板をよく見ると「SINCE 1966」と書かれていました。ビルの開業と同時に屋上ビアガーデンもオープンしていたことに驚きました。

屋上ビアガーデン

記憶として見えるかたちで残っている文字を探しながら歩けば、何か面白いことが見つかるかもしれない!

そんな期待を込めながらビルを見つめていると、屋上にあるゴミ箱らしきものに「中日ビル」という文字を発見しました。

中日ビル

普段よくみている「中日ビル」のフォントと違う……。 でもこのフォントも、どこかでみたことがありました。

中日ビル

そんなことを思いながら巡っていると、1階で「中部日本ビルディング」という文字を発見しました。

屋上で見つけた「中日ビル」のフォントと同じ! 中部日本ビルディングは、中日ビルを管理する会社の名称。ここは、中日新聞社の本社があった場所で、移転に伴う跡地再開発として中日ビルが建設されたそうです。

「中部日本」という表記が気になったので後日調べてみると、中日新聞社は、戦前の新聞社であった新愛知新聞社と名古屋新聞社が、戦時下による新聞社の統廃合命令に伴って1942年に合併し、中部日本新聞社として設立。

1965年に新聞の題字を「中日新聞」に改題し、1971年には社名も中部日本新聞社から中日新聞社に変更されたのだとか。

中部日本ビルディング

途中で、今の「中日ビル」のフォントになったとすると、屋上にあった「中日ビル」と書かれたゴミ箱のようなものは、いったいいつからそこにあるのだろか…。

大事にされてきたのかな。

そんなことも気になりつつ、中日劇場、中日パレス、中日文化センターに文字を求めて向かいました。

中日劇場

中日パレス

中日文化センター

並べて比べてみると、特徴があって面白いですね。フォントやロゴから、それぞれ場所に込められた想いが伝わってきます。

他にも気になる文字はないかなと探していると、地下への入り口を見つけました。

階段を降りて扉を開けようとしたとき…。

階段

ひらがなで書かれた「ひく」の文字を発見!

ひく

反対側には、ひらがなの「おす」の文字。 なんだか優しくおしたり、ひいたりしたくなります。

建物にある文字には、その建物の記憶が刻み込まれているのかもしれません。

中日ビルに関わっているたくさんの人の想いを、そこに残されている文字を通して感じることができました。

新しく生まれ変わる中日ビルには、どんな記憶が刻まれていくのだろうか。

中日ビル外観

 
▼その他のエディターが見つめた中日ビルの姿はこちら

大野 嵩明

名古屋市西区生まれ。社会人インターンシップで石川県七尾市にあるまちづくり会社での活動を通じて、地域の魅力を伝えていく仕事の楽しさと大変さを知る。名古屋に戻ってからは、ナゴヤの魅力を発信し、面白くしていこうと活動。まちをみる視点を日々更新中。
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