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大ナゴヤノート.
2019年05月15日

あの有名な武将ともゆかりある甚目寺観音。「観音さま」とまちをめぐるvol.2

大ナゴヤ圏の「観音さま」めぐり第2弾です。

【第1弾の笠寺観音の記事はこちら】

笠寺観音はなぜ「笠のお寺」なのか。「観音さま」とまちをめぐるvol.1

 

みなさんの側にはいますか?「観音さま」。

観音菩薩像がまつられたお寺、「〇〇観音」とも呼ばれるお寺。

その周辺に住む人からは、親しみとともに「観音さん」「観音さま」と呼ばれていることも多いように感じます。

そんな観音さまを巡って、まちとのつながりを見てみます。

 

今回は、愛知県あま市の甚目寺観音へ行ってみました。

「甚目寺」ってどう読むの?という方もいるかもしれません。

「じもくじ」です。ぜひ覚えてくださいね。

名鉄「甚目寺」駅から徒歩5分ほど、「鳳凰山甚目寺」があります。

 

以前に紹介した笠寺観音と同じ「尾張四観音」のひとつ。名古屋城がつくられた際に、尾張を守護する観音さまとして選ばれました。四観音の中で唯一、名古屋市外にあります。やはり節分の恵方が回ってきた年は、市内外からの大勢の人で賑わいます。

甚目寺観音がひらかれたのは、尾張四観音の中では最古の推古5年(597年)。伊勢の漁師、甚目龍磨(はだめたつまろ)が今の甚目寺のあたりで魚を獲っていると、網に金色の聖観音像が。龍磨はその観音さまを納めるお堂を建て、「甚目寺」と名付けました。つまり「はだめさんの作ったお寺」だから「甚目寺」なんですね。

 

駅から甚目寺観音へ向かうと、商店街の先に東門が見えてきます。

そのまま東門から入るのもいいですが、南側の南大門(仁王門)へも回ってみてください。

立派なたたずまいの南大門は、国の指定重要文化財。市内で最も古い木造建築物です。建久7年(1196年)、あの源頼朝の命で梶原景時が建てたものだといわれます。歴史の教科書で必ず学ぶ有名な武将とのつながりがこんなところに。

さらに、南大門に納められた2体の仁王像にもご注目を。仁王像を寄進したのは、あま市二ツ寺で生まれ、秀吉や家康の時代に活躍した戦国武将・福島正則。名古屋城が作られた際、堀川の開削を任された人物です。福島正則は、小さな頃に甚目寺観音で読み書きを習ったといわれます。

このように全国的に名の知れた武将たちの足跡がいくつも見つかりました。

南大門をくぐると、広々とした美しい境内が広がっています。奥には朱色の立派な本堂。龍磨が引き上げた聖観音像は、現在は十一面観音像のお腹に胎内仏として納められているそうです。さらに、甚目寺観音の本尊は秘仏であり、50年に一度しか目にできないものといわれています(ただし、2012年には特別な公開もされました)。

境内の西にそびえ立つ三重塔も国の重要文化財。

また、本堂の東側にある釈迦堂には「おそそさま」と呼ばれる神様が祀られています。おそそさまは、女性型の神様で肌荒れなどを治してくださるそうです。甚目寺観音でイベントなどが開かれる際に、目にすることができます(残念ながら写真はありません…)。

 

鎌倉時代には、交通の要所として人が行き交い、尾張の中心地のひとつだったという甚目寺。今も地域にとっては、節分だけでなく、様々な機会に足を運ぶ親しみある場であり、まちに賑わいを生む場になっています。

毎月1日、12日には境内でマルシェを開催。マルシェに合わせて、地域の人たちによるライブが開かれることも。

また、数年前からは毎朝ラジオ体操をする人たちが集まるようになり、日常的な憩いの場にもなっています。

 

マルシェに行ってみたい、武将のゆかりの地を巡りたい、肌をキレイにしてくれる「おそそさま」を拝んでみたい。いろいろなご興味の方に足を運んでもらえる観音さまです。

 

【甚目寺観音で開かれるイベント情報】

  • 毎月1日 風土マルシェ
  • 毎月12日 甚目寺観音てづくり朝市
小林優太

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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