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大ナゴヤノート.
2022年06月29日

みちしるべからまちしらべ

名古屋市内の、いわゆる観光スポットのあるエリアを歩くと、しばしば上の写真のような路面標示に出会います。真四角の枠の中に、カラフルなタイルで描かれたモザイクアート。大きさは55cm四方ほどでしょうか(自分の靴のサイズをもとに概測)。各辺の内側中央には円があり、それぞれに大きな矢じり(△)や「観光ルート」の文字列、および「城と四間道」のように場所を表す文字列が配されています。

いつの頃からか、私にとって気になる存在と化していたこの路面標示。これまで撮りためた写真を選りすぐりながらその魅力をご紹介するとともに、見つめつづけて得た考察をしたためたいと思います。

その標示に仕掛けあり

上の写真のものはメインビジュアルとして、名古屋のシンボルともいえる「金のしゃちほこ」が描かれていますが、いちばん見かけるのは次の写真のようなデザインです。

皆さんもどこかで見かけた覚えがあるのでは…

まちの景色を描いたらしい背景に、くねくねと折れ曲がったリボンのような意匠。いったいなにを表しているのでしょう。“正解”はわかりませんが、私は勝手に「n(エヌ)」と呼んでいます。だって、nagoyaの「n」に見えるんですもの(見えませんか?)

「n」は、主要な観光スポットの真ん前ではなく、なにもない路上によく見られます(例外もあります)。一見「なんでこんなところに」とツッコみたくなるような位置。でも、どうやらこれはひとつの仕掛けらしいと気づきました。というのも、これがあるのはスポットとスポットの間の“ルート”上、まさに観光ルートの方向を示す“みちしるべ”になっているのだと。矢じりの指すどちらかに向かえば次の観光スポットにたどり着ける――そんな仕組みのようです。

エリアごとに色や背景が異なる「n」

この観光ルート標示のシリーズにはエリア単位の括りがあるらしく、それぞれ「n」のデザインが違っているのも注目ポイント。また、各エリアには固有の名称もついています。名古屋城~円頓寺エリアは「城と四間道」、栄エリアは「プロムナード栄」というように。エリア名称のネーミングセンスにもそそられるものがあるのですが、ここにすべてリストアップすると皆さんの探す楽しみがなくなってしまうと思うので割愛しますね。

観光スポットを捉える視点に注目

史跡・名勝や観光施設などの付近にあるものは「n」とは異なり、その場所ならではのビジュアルになっています。例えば下の写真は、中区の西別院(本願寺名古屋別院)の近くにある標示。

西別院の本堂正面

標示のある場所から少し進んで西別院の門の辺りに立つと、このモザイク画とよく似た眺めが眼前に広がります。インド天竺様式の本堂ですね。
西別院の例のように、そのスポットをマクロな視点で描いたものもあれば、ミクロな視点で捉えたなにかが描かれていることも。お次は、同じく中区の栄国寺南側の路上にある標示です。

なにが描かれているかわかりますか

「ただの石灯籠だろう」と思った方は…惜しい、これは「キリシタン灯籠」なのです。栄国寺にキリシタン灯籠があると知っていればすぐにピンと来るかと思いますが、ご存じない方には「お寺の境内に石灯籠…まぁよくあるよね」ぐらいの印象かもしれませんね。ここで「石灯籠?なぜ」と不思議に思われた方は鋭い!ぜひそういった感度を高めて、小さな疑問や違和感から想像を膨らませながら謎解きしてみましょう。

ミクロな視点で描かれたルート標示は特に、なにを描いたものか一目ではわからない場合も少なくありません。そんな標示を見つけるたびに、私も頭をひねったり調べてみたり。そしてもちろん、題材のチョイスのユニークさに心をくすぐられてもいます。

名古屋といえば…あの場所には特大サイズ!

名古屋の観光スポットといえば、名古屋城は外せませんよね。名古屋城の正門前では、他のものよりひとまわり…いやふたまわり?大きなサイズのモザイクアート標示を見ることができます。

他のルート標示の4枚分かしら

テーマは「四季の名古屋城」といったところでしょうか。四隅の「春・夏・秋・冬」の字に合わせた季節の風物が、名古屋城の周囲を彩っています。サイズが違うので観光ルート標示とは別物かと思いきや、右端の円にはちゃんと「城と四間道」のエリア名称が入っている(上の写真では確認しづらいですが)ので、一連のシリーズで間違いないはず。

みちしるべから知る

絵ではなく、でかでかと文字列が書かれたものもあります。最近見つけたのがこちら。

はやし・きり・は…?リン・トウ・ヨウ…?

不勉強な私には、見たことのない3文字の並び…なんのことだかさっぱり見当もつきません。熱田神宮のそばで見つけたので、熱田神宮に関係のあるなにかかな…と予想しながらこの3文字をGoogle先生に投げかけてみます。すると、返ってきたのはまったく予想外の答え。
林桐葉、それは「はやし・とうよう」と読む人名でした。松尾芭蕉の門下の俳人で、熱田の地に住んでいたのだとか。この標示は、林桐葉の邸宅跡を示していたというわけです。

こんなふうに、足もとの標示が学びのきっかけになることも!先ほど挙げた栄国寺のキリシタン灯籠も、知らなかった方にとっては新たな発見でしたよね。
日々あまたの人や車が行き交う名古屋の道に、静かにとけ込んでいる観光ルート標示の面々。そこにたたずみながら、まちを知る鍵をそっと差し出してくれているのだと思うと、なんだか健気さすら覚えてしまいます。

詳細は不明…しかしヒントが

ところで、もっともらしくこんな記事を書いておりますが、この観光ルート標示の正式な名称も、設置された時期や経緯も、実は私は把握できていません(ご存じの方はご一報ください)*1。折に触れて調べてはいるものの、これという情報になかなか行き当たらず…。しかし、少しだけヒントになりそうなものはあります。

*1 かつて円頓寺商店街で発行されていた情報誌「ポゥ」において、「観光ルート標示」として取り上げられていた記憶があります。それが筆者の知る唯一の資料。

とある場所でこんな標示を見つけました。さて、どこのものかわかる方はどれぐらいいらっしゃるでしょう。

「旧高裁」

正解は「名古屋市市政資料館」です。現在、市政資料館として使われている建物は、1979年まで裁判所として使用されていました。その後、市政資料館として開館したのは1989年のこと。したがって、この標示が設置されたのは「1979年から1989年の間」といえるのではと考えます。「旧高裁」と書かれているということは、高等裁判所として使用されている頃でも、市政資料館として開館した後でもないということですから。いかがでしょう、私の読み。

みちしるべには足を運べ

こうした路面標示のもどかしいところは、遠くから視認できない点です。現地に足を運んで上から見下ろさなければ、全貌を確認することはできません。まちなかを移動しながら路面標示を探すにしても、肉眼で見つけられる範囲は限られています。ましてやGoogleストリートビューを使ってバーチャルにまちを歩き、その在り処を洗いざらい探し出すなんてことは、ほぼ不可能なわけで。

ちなみに、冒頭の金のしゃちほこの標示は、残念ながら現存していません(移設などされていない限り)。先日それがあった場所を通りがかったら、辺り一帯、道路工事の痕跡に覆われていました…。他に、久屋大通公園(現Hisaya-odori Park)にあったものもいくつかは撤去されている模様。
建物であれば、現存しないものもGoogleストリートビューなどで過去の様子を見られる場合がありますが、路面標示が完全に写り込んでいることは非常に稀です。まちの人々の記憶にうっすらと残り、それも時間とともに忘れ去られてしまう運命なのでしょうか。なんとも寂しいことだなぁと思います。


まだまだ興味深い標示がたくさんあるのですが、きりがないのでこの記事はこの辺で。私のInstagram*2では「#名古屋観光ルート標示*3というタグをつけて写真をアップしていますので、よろしければご覧ください。

名古屋市内には私がまだ見つけられていない観光ルート標示もあると推測しています。「ここにある(あった)」という情報も、お寄せいただけましたら喜びます。

*2 本来は瓦をアーカイブするアカウントですが、“タイル”つながりということで…(笑)
*3 2022年6月現在、1枚を除いてはすべて私が撮ったものが表示されます。未アップのストックもあるので、今後、折を見てアップします。

写真:脇田佑希子

脇田 佑希子

愛知県海部郡生まれ。なんちゃって理系のサイエンティスト+編集屋+瓦を追うひと。暇さえあれば軒丸瓦を探しにまちへ繰り出すおさんぽ好き。まちに埋もれたお宝を、人それぞれに発掘できるような“仕掛け”を創りたいと日々思案を重ねている。
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