「径(みち)」を探検する
-まちの中で見つけたささやかな異界-
日々歩き慣れたはずのエリアで、ふと「こんなところ、あったかな」と立ち止まることがあります。唐突に現れたようにも思えるその場所は不思議な吸引力を持っていて、足を踏み入れたら最後、二度と戻れないどこかへ連れていかれるような心持ちになるのです。半年ほど前にもそのような場所を見つけ、ささやかではありますが興味深い探検をしました。これはそのときの話です。
気になる「径(みち)」との出会い
それは冬の終わり、小雨が降る日のことでした。ときおり立ち寄る長久手市内の中古書店の横に、なにかの入口らしきものが。気になって覗きこんでみると、レトロな雰囲気をたたえたレンガ敷きの道が住宅街の中へ続いていました。すぐそばを通るリニモの「杁ヶ池公園駅」から東に7分くらい歩いたあたりです。脇に目をやればかなり年季の入った地図。「“せせらぎの径” 案内図」と書かれています。「道」や「小径」ではなく、あえて「径」という漢字を単体で使い、「みち」と読ませているところに味わい深さを感じました。地図はかなり経年劣化を起こしていて読みづらい部分があったものの、解読できないほどではありません。
この緑道は「緑と文教の町」長久手町が設定した「緑のネットワーク」の一環として雨水排水路の上部を「みどりと水」をテーマに皆様の憩の場として整備したものです。長久手合戦の昔を偲びつつ美しい自然と、きれいな「流れ」を再現しようと“せせらぎの径”と名付けられました。
由来を読んでなるほどと頷きつつ、おや、と引っかかったのが「長久手町」という表記。この道がつくられたのは、長久手市がまだ長久手「町」だった時代なのですね。
昭和61年7月竣工 長久手町役場 長湫東部土地区画整理組合
なんと、今から38年前、バブル期が始まった頃の完成でした。どうりでレトロな空気感が漂っているわけです。奥へ続く道を眺めているうちに引き込まれそうな気持ちになり、この先はなにがあるのか、最終的にどこに出るのか自分の目と足で確かめてみたくなりました。とはいえ、雨が降り続いており、途中で迷子になって力尽きてもいけません。その日は深入りをやめて帰ることに。
帰る道すがら、他にもひっそりとまちの裂け目のように存在する遊歩道や緑道があるのだろうなと思いを巡らせました。歩くために用意された少しだけ特別感のある道。しかし、遊歩道のイメージはつかみやすい一方で、どのような道を「緑道」と呼ぶのかがはっきりわかりません。帰宅してからインターネットで調べてみたところ、愛知県のWebサイトに次のような説明文が。
緑に覆われた、歩行者専用道路または自転車専用道路のことを緑道と言います。緑道は緑の空間が連続することで、緑のネットワークをつくるうえで重要であり、災害時には避難路として活用されます。
公園とよく似た位置づけのようです。このような道なら、長久手市内をはじめ、近隣の市町でも発見することは難しくないでしょう。いつかまちあるきのときに心惹かれる緑道と遭遇できればラッキー、ぐらいに思いました。ところが、せせらぎの径の入口を発見して数週間たった頃、面白いことに出口らしき場所を見つけてしまったのです。
探検に踏み出す
場所はリニモの「はなみずき通駅」の近く。小綺麗な遊歩道に「せせらぎの径」という小さな道標が立っていました。確かに名前は同じですが、あの昭和の香り漂う小径とつながっているのでしょうか。ちょっと信じがたい気がします。
距離は930メートル、ゆっくり歩いても20分程度。無理なく歩ける距離ということは、もはや行くしかないでしょう。
数日後、はなみずき通駅側からせせらぎの径へ入りました。最初は白っぽい石畳の明るい道で歩きやすさ抜群。犬の散歩をしている人を何人も見かけます。順調だと思っていたら、間もなく幹線道路にぶつかってしまいました。ここで終わりなのかと残念に思いつつあたりを見回すと、すぐ近くに歩行者用信号と横断歩道が。そして横断歩道の先には道の続きがありました!どうやら横断歩道もせせらぎの径の一部として設計されているようです。
横断歩道を渡るとがらりと雰囲気が変わり、地面の舗装はかなり古びて敷石にひび割れが目立つようになります。年月を感じさせるこの場所に石の銘板があり、見つけた瞬間、思わず「つながった!」と心の中で快哉を上げてしまいました。というのも、数週間前に発見した入口側にも同じものがあったからです。もしかすると当初はここが始点あるいは終点で、リニモが開通した際に先ほどの綺麗な石畳の道がつくられ、はなみずき通駅までつながるようになったのかもしれません。
長久手開発の歴史と遭遇する
細い車道をいくつか横切りながら足を進めるうち、不意に小さな日本庭園のようなエリアに出ました。立派な石碑が中心にあり、その手前には人工のせせらぎが流れています。石碑は土地区画整理事業を記念するもので、裏手にまわると事業について記された石板がありました。1974年(昭和49年)に組合を設立して事業に着手したこと、また、当時の長久手は地域のほとんどが山林や畑であり、無秩序な宅地化を憂慮して区画整理を計画したということが記載されています。今でこそいくつものショッピングモールや新興住宅地を多く見かける長久手市ですが、自然に今の姿になったのではなく、時間をかけて計画的に土地開発を進めていった結果だということがうかがえました。
石碑のあるエリアから先は、それまでのケヤキ並木と違って和風の庭園を思わせる道が始まりました。人工のせせらぎが道に沿ってつくられていたり、ところどころに俳句を刻んだ石碑が設えられていたりして、ツツジやモクセイ、カエデなど、種々もろもろの庭木が目を楽しませてくれます。一方で、残念なことに噴水などの水景施設は休止中で、道沿いのせせらぎにも水はなく枯山水のようになっていました。なにしろ敷設から40年近くたっています。故障していてもすでに交換部品がなく、修理が難しいのかもしれません。
市民の憩いの場として今も現役
せせらぎは消えていますが道そのものは緑が多く、歩いていてとても心地の良いところです。あちらこちらに設けられたベンチやあずまやにはお弁当を食べている人やのんびり読書をしている人がいますし、周辺にスーパーやカフェ、公園や郵便局など生活に必要な施設があるためか、散歩や買い物帰りの人たちともよくすれ違います。最初にこの道を見つけたときは、さぞや人通りの少ないわびしい道ではないかと想像していたのですが、良い意味で予想を裏切られました。
歩き始めてから約30分、遠くに見慣れた中古書店の看板が現れ、足元はレンガ敷きの道に。最初に出会った入口まであと少しです。歩道のつくりはそれまでの和風から一転して洋風になり、ビャクシンなどの針葉樹に混じって長久手に伝わる民俗芸能「棒の手」をテーマにしたオブジェが登場するようになりました。古株のノウゼンカズラが絡みつくアーチをくぐり抜けたら、めでたくゴール。目の前には大量の車が往来する「グリーンロード」こと県道6号力石名古屋線が現れました。現実に戻ってきたなぁとホッとすると同時に、もう終わってしまったのかという寂しさも感じたのでした。
寄り道をしながら歩いたので、最初の予想の2倍近い時間をかけた探検となりました。最後まで歩き通したご褒美は、中古書店でのんびりと面白そうな本を物色すること。目に入る情報を読み解きながら歩くという意味では、道歩きも一種の読書だといえなくもないでしょう。入口と出口を確かめたくて歩き始めたせせらぎの径でしたが、異界へ迷い込みそうなさびれた遊歩道ではなく、人々が多く行き交う現役の道でした。さらに長久手の開発の歴史を秘めていたという、意外な発見も。またどこかで引き込まれるような緑道や遊歩道に出会ったら、探検してしまうかもしれません。
写真:いわた