地下鉄はワープ装置。行き着く先は…
地下鉄はワープ装置なのではないか。地下鉄を利用するたびにそう思います。鮮やかなまちから地上にある出口を下った先のホームはどの駅も同じような無機質な空間。ところが、移動先の駅に着いて地上へ出ると、再び色彩豊かなまちの風景が広がるため、乗車駅から降車駅まで直接ワープしたような錯覚に陥ります。この駅ではなにがみられるのだろうかと、ワープ先に待つ知らないまちへの期待を胸に、地上へとつながる階段を上っています。
いつも私が感じている地上へ至るまでのワクワクをぜひ味わってほしいという思いから、出口からの一歩をエディターたち*にも体験してもらうことにしました。方法は、一人ひとりランダムに選ばれた駅に赴き、地上で目についた風景に対する思いを書きとめるだけ。そこには、地下鉄の中で抱いたまだ見ぬまちの風景への期待も含まれているのです。それぞれ地上を出たときになにを見つけ、なにを感じたのでしょうか。
* 記事執筆前の新人エディターも参加しています。デビューをお楽しみに!
東山線 東山公園駅 エレベーター出入口
はじめての東山公園駅。「どんな風景が広がっているのだろう」と前を向くと、よくある車通りが広がっていた。個性的な喫茶店が並ぶ裏通りを期待していた私は少しがっかりしたが、振り向くと愛くるしいコアラを発見。方眼を使ってさまざまな色を組み合わせ動物園を表現する技術の高さに感服し、思わず立ち止まってしまった。
(かずき)
かつての私の最寄り駅で、よく見たエレベーターに懐かしさを覚えました。実は、個性的なお店は近くにいくつかあるのです。また今度かずきさんに紹介したい。意気消沈する中で見つけたというタイルのカラフルな色使いは、かずきさんにはよりいっそう華やかに見えたことでしょう。
東山線 一社駅 1出入口
目の前には交通量が多い東山通り。駅の周辺にはお店が並び、にぎやかな雰囲気が漂っていました。改札から出た数人が緩い坂道を上っていくのを見て、私も後を追うことに。そうするとすぐに、私が育ったまちに似た静かな住宅街が広がっていました。駅前の栄えている様子とのギャップに驚きましたが、都会すぎず田舎すぎないちょうど良いバランス。住むならこんな場所も良いなと想いをめぐらせながら散歩を続けました。
(伊藤ちなつ)
坂にはなんともいえない魅力がありますよね。特に上り坂では、見通しの良い道よりも、先になにがあるかわからない不確定な状況を楽しめるのでしょう。坂を上った後に面白いものがないと落ち込む私とは違い、坂を上ることそのものにも意義を見出す伊藤さんは坂との付き合い方がうまいなと感じました。
名城線 久屋大通駅 1B出入口
A:へぇ、名古屋にもレインボーブリッジがあるんだ。
B:そんなもん、にゃあわ。
A:じゃあ、あれは?
B:「セントラルブリッジ」が正式名称だがね。1982年に完成、名前は市民からの公募。
A:セントラルパークの上にあるからって、ひねりが足りないなぁ。レインボーのほうが良くない?
B:なに言っとりゃあす、「レインボーブリッジ」がもう東京にあるがね。
A:それなら「大ナゴヤセントラルレインボーブリッジ」!
B:盛りすぎ。
A:あ、やっぱり。
(いわた)
栄の名物をネタに心地良いテンポで進む漫談からは、いわたさんの名古屋愛がとても伝わってきました。ちなみに、東京のレインボーブリッジは1993年に竣工したそうです。もし栄のセントラルブリッジの名称に「レインボー」の語が採択されていたら、「レインボーブリッジ」は名古屋のものになっていたのかと思うとロマンを感じます。
名城線 新瑞橋駅 7出入口
「なんだか来たことがある場所のような…」
バスターミナルを見て甦ったのは、昨年の飲み会の日の記憶。たくさんのお酒を飲んだ私は、帰りの電車で寝過ごしてしまい、目が覚めるとそこは新瑞橋駅だったのです。家の最寄駅までの電車は既になく、バスも最終便は出発済み。やむなくタクシーを拾って、飲み会代とほぼ同じ料金を支払い帰宅しました。「お酒はほどほどに楽しもう」。そう心に決めたのでした。
(ジェイ)
さまざまな感情を風景から抱きますが、ジェイさんにとってここの風景は苦い思い出を呼び起こすものだったのですね。お酒の失敗をしても、しっかりと反省するジェイさんには感心させられます。新瑞橋の悲劇以降、お酒との付き合いがうまくいっているか気になるところです。
名港線 日比野駅 1出入口
手尺で測った幹の太さが20センチメートルほどのクスノキ。別の角度から見ると、高さは地下1階から地上1階天井くらいまでひょろひょろと伸び、先は枝分かれして曲がっています。葉っぱがついているのは上部だけ。根元の地面がタイルに覆われていますが、栄養は行き届くのでしょうか。日照も十分とは思えません。こんな場所にまで人は緑を求めるの。構造物に囲まれた木のアンバランスさに、なにが自然でなにが不自然なのか、わからなくなりました。
(榊原あかね)
榊原さんがアンバランスと表現したように、見れば見るほど不思議なクスノキです。日常の中に潜むアンバランスは言われてはじめて気づくもの。榊原さんの言葉がなければ、このクスノキの存在に私は疑問を抱かなかったと思います。日常の中には予想以上に多くのアンバランスがあるのかもしれませんね。
鶴舞線 いりなか駅 1出入口
黒くて丸い実を付けたクスノキの枝にムクドリがとまっているのが見える。ムクドリは木の実をいくつか食べ、風を切って西の空へ飛んでいってしまった。きっと初夏には花の蜜を目当てに鳥や昆虫が集まってくる。 花の香りに誘われて行き交う人々も立ちどまり、このとまり木を見上げるのだろうか。
「花が咲く季節にまた来るね」
自然との小さなやりとり。私は子どもの頃の自分を思い出していた。
(太田美佳)
自然を見なくなっている最近の自分に気づきました。歩いていても、仕事や将来のことなどで頭がいっぱいになり、他のことまで目にする余裕がなくなったのです。太田さんのいう自然との対話は、大人になった心を童心にかえらせて浄化するものなのかもしれません。辛くなった際には、道端にある自然とのやりとりを試みようと思いました。
上飯田線 上飯田駅 2出入口
地下鉄と名鉄がつながる上飯田駅をはじめて訪れました。2出入口に続く階段を上がり、まず目に入るのは、正面と右手にずらりと並ぶ閉じたシャッター。左手にはバスターミナル。すぐに空は見えません。通りへ出てみると、出口はL字型のビルの内側にあるとわかりました。このビルは1972年に建てられた市営住宅「西上飯田荘」。2003年に開業した上飯田連絡線の出口と、50年のときを刻んだ建物が重なる景色にまちの歴史がうかがえます。
(小林優太)
市営住宅と地下鉄の時間を隔てた交差が面白いですね。市営住宅は耐震の観点から入居者の募集を停止する予定だそうです。近い将来に市営住宅が取り壊されたとしたら、広い空を仰げるようになった地下鉄出口が感じるのは、開放感か寂しさのどちらになるのでしょう。
桜通線 鳴子北駅 1出入口
「かくかく」と「もしゃもしゃ」。異なる性質だけれども道路を挟んで毎日向かい合う両者。お互いが大きく違うために喧嘩をすることは多々あったのだろうか。それとも、異なる性質に魅力を感じて惹かれ合っていたのだろうか。もしくは、互いに無関心であったのだろうか。道路を通るときに両者の声に耳を傾けてみると、その答えが聞こえてくるかもしれない。
(上田隆太郎)
確認すると、「かくかく」は名古屋市交通局野並営業所、「もしゃもしゃ」は相生山緑地でした。営業所と緑地は道路を挟んで100メートル以上も向かい合って存在しています。相生山緑地は100ヘクタール以上の面積を有する大きな緑地。名古屋のまちなかとは思えない緑豊かな場所で、散策を楽しむことができました。
出口付近にある建物や自然に自己の思いを重ねる人。出口から見える風景の先をたどってみる人。寄せられた文章には彼らの世界観が投影されていることに気がつきました。地下鉄を挟んだことでエディターたちの人となりがはっきりと文中にあらわれたのだと思います。
私たちは普段、日常生活を通して獲得した思い込みや先入観というフィルター越しに目の前の景色を認識していると感じます。後付けされていくそれらの一番奥の基礎となるのは、心の中に持つ自分の世界観。普段は重ねられたフィルターが邪魔して、まちに対する感想に自己の世界観はあまり反映されません。けれども、どこも似たような雰囲気の地下鉄を介することで、付け加えられたフィルターが取り外されていくような気がします。それゆえに、地上の出口を踏み出して最初に見たものに対する見方は、より本来の自分の感性に近いものになったのでしょう。
冒頭で、地下鉄は乗車駅から降車駅へとつながるワープ装置みたいだと書きました。ですが本当は、後付けされたフィルターを取り去り、まちの風景を通して自己と触れられる心の世界へのワープ装置なのではないでしょうか。
写真/大ナゴヤノート.編集チーム
※写真は2024年1~2月に撮影したものです