脚の生えたシャチ?いいえ、それは――
いきなりですが、上の写真のような瓦をご覧になったことはあるでしょうか。「名古屋城のとは色が違うけど、シャチホコじゃないの」って?いやいや、シャチホコに脚はついていませんよね。
これは、「マカラ」という想像上の動物。インド神話に登場する水生の獣です。日本では、当て字で「摩伽羅」などと書かれたり、「摩竭魚(まかつぎょ)」「磨羯(まかつ)」と呼ばれたりもします(以下、本記事では「マカラ」で統一します)。
上の写真のように、名古屋城でいえば金のシャチホコが飾られている部分(屋根の棟の端)に“脚の生えたシャチ”…もとい、マカラがいる場合があるのです。この記事ではそのマカラを追ってみたいと思います。
マカラを知る
マカラについて、まずは定義を調べてみましょう。文献によってその態様の描写は少しずつ異なりますが、例えばある本にはこんなふうに書かれています。
その姿はワニのような頭部と前脚、ゾウのような鼻を持ち、魚のような体を持つと考えられた。
(今井浄圓監修『お寺のどうぶつ図鑑』二見書房、2020)
これを踏まえて改めて上の写真のモノを見ると、ワニと魚を合体させた容姿といえなくもなさそうです。鼻は、長いといえば長い?…ともあれ、同書で私の目に留まったのは次の一文。
マカラは黄檗(おうばく)様式の特徴のひとつであり、(中略)黄檗宗の寺院で見ることができる。
ほほぅ、マカラがいるのは黄檗宗寺院とな!興味深いことを知りました。京都にある黄檗宗の大本山、萬福寺の総門には確かにシャチホコではなくマカラが据えられているようです。では他の黄檗宗寺院はどうなのでしょう。気になってくるじゃあないですか。
東海三県にもマカラはいるか
大本山以外の黄檗宗寺院にもマカラはいるのか。それを調べるとっかかりとして、日本国内の黄檗宗寺院を検索できるデータベースを見つけました。
> 臨済禅 黄檗禅 公式サイト「臨黄ネット」寺院検索
さっそく東海三県の黄檗宗寺院をリストアップさせてみたところ、その数は、愛知県15ヵ寺、岐阜県20ヵ寺、三重県13ヵ寺(2024年時点)。ふむ、これぐらいならすべて調べ上げることもさほど苦ではないでしょう(そう考える私はヘンタイです/笑)。というわけで、計48のお寺をひとつずつ精査していくことに。
それぞれのお寺の建物写真をGoogleマップやブログ・SNSなどから探し出し、門や本堂の棟の両端をチェックしていきます。シャチホコ状の瓦があれば画像を最大限拡大して脚の有無を入念に確認。建物の写真データが見当たらない場合には、Googleストリートビューでお寺の周囲の道路に降り立ち、道路から見える建物の屋根を可能な限り目を凝らして観察しました。
いざやってみると、全48寺を調べ上げるのはなかなか骨の折れる作業でした(苦笑)が、やりきらないと気が済まないタチの私。どうにかやり遂げ、私がマカラの存在を認めたお寺はこちらです。
- 東輪寺(愛知県名古屋市中区)
- 先聖寺(愛知県犬山市)
- 東禅寺(岐阜県恵那市)
- 観音寺(三重県四日市市)
上述の調査方法でも限界はあり、どう頑張っても屋根の細部を見ることができなかったお寺もあるので他にもいる可能性も残されているものの、愛知・岐阜・三重の各県に少なくとも1対はマカラがいることがわかりました。ちなみに記事トップの写真は東輪寺のものです。
気になるあのコに会いにいく
上記4寺のマカラの中でもとりわけ気になったのは、四日市市の観音寺のマカラ。Googleマップに投稿されている写真では、もちろん脚らしき部分が見てとれるのですが、それとは別にもう1本、脚があるような…?萬福寺のマカラとはちょっと容貌が違っているように見えました。これは現物を確認しなければ。そう思い、観音寺へ――。
気になるあのコは山門にいました。山門の前にはお寺の解説札が立てられており、解説文中にもずばり「魔伽羅」の文字があります(ここに書かれているのは「摩」でなく「魔」)。どれどれ、マカラをじっくり見てみましょう。
棟にべったり張りつくように伏せた頭部の後ろに、“く”の字に折れた脚が1本。萬福寺のマカラと比べると、太さや折れる角度は異なるけれど、脚の位置・形状としては同じです。そして注目したいのは、頭部の上のほう。腹部を支えるように斜掛けられた棒状のものが見えますよね。これこそ私が「もう1本あるような…」と思った2本目です。この棒はなんなのか。その謎を解く鍵は本堂の脇に置かれた古い瓦にありました。
かつては観音寺の建物のいずれかの屋根にいたと思われる古びたマカラ。地べたに置かれているので細部までよく見えます。欠けたり風化したりした箇所も目立つものの、肝心の“2本目”の部分はというと…おぉ、爪のついた足先がある!どうやらこの棒状の部分は脚で間違いないようです。頭部の後方にあるくの字の脚とこちらのつっかえ棒の脚は、それぞれ前脚と後ろ脚、なのでしょうか。謎は尽きません。
名古屋にあるもうひとつの黄檗様式建築
実をいうと、最初に名古屋周辺の黄檗様式の寺院建築を探そうとしたときにweb検索で真っ先に行き当たったのは、上記の4寺とはまったく別のお寺でした。そのお寺とは名古屋市緑区にある瑞泉寺。黄檗宗ではなく曹洞宗のお寺です。
瑞泉寺の山門がこちら。
萬福寺の総門によく似ていると思いませんか。それもそのはず、瑞泉寺の山門は萬福寺の総門を模してつくられたものなのです。曹洞宗寺院であるにもかかわらず、なぜ黄檗宗大本山の総門を模した門をもつのか、その理由は定かではありません。が、今気になるのは、そこにマカラはいるのかどうかです。さっそく瑞泉寺山門の棟の両端に注目してみましょう。
むむ、どう見ても脚があるようには見えません…ね。萬福寺の総門を模しているというのに、棟を飾る瓦は本物を模してはいないようです。いったいどういうことでしょう。
瑞泉寺は黄檗宗ではないから、マカラを据えることを意図的に避けたのか。それとも瑞泉寺の山門建立に関わった人や瓦製作を担当した職人がマカラを知らず、見本である萬福寺の瓦を細部まで確認することもなく、そこにあるのはシャチホコだろうというある種の思い込みで棟を飾る瓦をつくったのか。あるいは、マカラの存在自体は知られていても架空の動物ゆえ共通した具体像がなく、人それぞれに自由にマカラを思い描いたためにその姿かたちにバリエーションが生まれたのか。これまた真相を知るすべはありませんが、そんなふうに想像をさまざまにめぐらすのも楽しいものです。
40以上の黄檗宗寺院を見つめて視えたのは
ところで、上記の調査で「マカラなし」と判定した他のお寺には、本当にマカラはいないのでしょうか。東海三県の黄檗宗寺院の建物の屋根を観察していく中で、私はふとあることに気がつきました。次の写真の大乗寺の山門もその特徴をもつ一例です。
大棟の両端にあるシャチホコ状の瓦には脚はありません。一方で、向かい合うそれらの中間、大棟の真ん中になにやら突起物がついています。これは「宝珠」と呼ばれる仏教由来の飾り。私がつぶさにチェックした黄檗宗寺院の建物の数々には、同じように大棟中央に宝珠を載せた山門や本堂がいくつもみられたのです。そうそう、大本山萬福寺の建物にも。ちょっと気になる存在ではありませんか、宝珠。
宝珠については、以前に少し調べたことがありました。そのときに出会った文献の記述を引っ張り出してみると。
如意宝珠* 意のごとく求める珍宝をだす宝珠。龍王または摩羯魚(まかつぎょ)の脳中からでるといい、また、仏舎利が変じたものともいう。
(中野玄三『仏教美術用語集』淡交社、1983)
* 如意宝珠は宝珠の別称。
冒頭でも紹介したように「摩羯魚(まかつぎょ)」とはマカラのこと(この文献では「竭」でなく「羯」)。宝珠を調べていた当時には「摩羯魚」といわれてもいまひとつピンと来ず、そんな名前の生き物もいるんだぐらいに読み流していましたが、こうして黄檗宗寺院の屋根をいくつも見ていたらなんだか話がつながったような感覚に至りました。この屋根で表されているのは“マカラとその頭から出た宝珠”なのではないかと。そう考えると、「マカラなし」と判定したお寺にいる“シャチ”たちも、脚はないけど実はマカラなのかもしれません。
ここまで読んでくださった方はもう、シャチホコらしきものを見かけたら脚があるかどうかを確かめたくなっているのでは(笑)かくいう私自身、黄檗宗寺院にはマカラがいるということを知って以来、棟の端にシャチらしき生き物がいれば欠かさず脚の有無をチェックしています。黄檗宗寺院ではもちろんのこと、他宗の寺院でも。だって、他宗の寺院にマカラがいたら、大発見でしょう?!
…と、この記事を書いている最中に、なんと黄檗宗ではないお寺の境内にいるマカラを思いがけず発見しました!場所は……おっと、大ナゴヤ圏から外れるのでここではやめておきましょうか。この続きはどこかまた別のところで。
写真提供:小山興誓(筆者が未訪の萬福寺などの写真を提供いただきました)
写真:脇田佑希子