住み続けると決めたまちで、古着屋さんを小さく始める
-「Fukumochi vintage」店長 生駒郁代-
まちじゅうをキャンパスに見立てて活動する大ナゴヤ大学は、まちも大事な存在のひとつとして捉えています。この記事で紹介する生駒郁代さんは、大ナゴヤ大学が開校した2009年からスタッフとして関わってきたメンバーです。
2018年7月に、「Our closet(みんなのクローゼット)」というコンセプトのビンテージショップ「Fukumochi vintage」を立ち上げます。どうして住んでいるまちで、お店を立ち上げようと思ったのか。その経緯を聞いてみました。
名古屋駅から近鉄電車で30分ほど、三重県桑名市にある益生駅に到着。
駅の改札を出ると生駒さんが迎えてくれました。
生駒さんにまちを案内してもらいながら目的の場所に向かいます。
知らないまちをひとりで歩くのも楽しいけれど、住んでいる人の視点を通してまちを見つめてみるのも日常の風景が垣間見えて面白いです。
この辺りは、江戸時代に東海道の立場(宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶店などが集まっているところ)として栄えたまちです。
今はなんだか少しだけ、寂しい感じがします。
益生駅からゆっくりまち歩きをしながら15分程で、生駒さんが2018年7月に始めたお店「Fukumochi vintage」に到着。
旧東海道沿いにお店はあります。
お店に入るとカウンターが目に入ってきます。
内装を手がけたのは、美術館の展覧会などで作品を効果的に見せるための展示設営やアーティストの作品の構想を可視化・具現化するための制作補助などをおこなっている「ミラクルファクトリー」。
最初から細かく決めないで相談しながら進めていきました。途中でカウンターをつくろうと思うみたいに言われて、“はい!”と深く考えず返事して…。結果、良い感じになりました(笑)
そんなエピソードが込められたカウンター越しにインタビューを始めていきました。
最初に、このまちとの関係性を聞いていきます。
生駒さんは、2011年に結婚して愛知県安城市から三重県桑名市に引っ越してきます。夫の実家があり職場も近いことからこの地を選んだといいます。
最初は、見知らぬ土地で知り合いがあまりいない状態でした。そんな状況もあって、まちに対して目を向けるようになりました。ここに来てから土地に対する感度は上がった気がします。
2013年の出産を機にマンションを購入。一生ここに住むことになるとなったときに、自分の住んでいる土地や地域への責任感が生まれました。
地域の中で、どのように人との関わり合いをつくっていけば良いのだろうか。住む場所も含めて自由に移動することが可能になった反面、見知らぬ地域の中で生きていこうと決めたときに、どうしたら良いのだろうか。そんな不安が自分の中にも湧いてきました。
このまちでの生活の前半は、孤独でした。ひとり目の子どもが生まれたときは、ベビーカーにのせてひたすらまちを徘徊していました(笑)
どのような巡り合わせで、状況は変化していったのだろう。
地域での集まりに顔を出し続け、あるとき近所の「善西寺」で面白いことをやっていると聞いて、すぐにお寺主催のエンディングセミナーに参加してみました。
その時に善西寺の住職、矢田俊量さんとお話しすることができました。そこから催し物のときに呼んでもらえるようになっていきました。
お寺で子ども食堂という取り組みが始まっていく中で、この物件オーナーでもある坂本さんとの出会いもありました。矢田さんと出会わなかったら、今も孤独のままだったかもしれません。
まちの中で動き続け、同じ想いを持つ人と巡り会い、少しずつ状況が変化していきました。とにかく動き続け、人と巡り会うことが大事なのかもしれません。
お店を自分でやることは、まちに対してもう一歩踏み込むことになる。その経緯を尋ねてみました。
自分でお店をやろうと思ったのは、“稼ぐまちづくり”を提唱している木下斉さんの影響が大きいですね。まだ、お会いしたことはないけれど。
覚悟を持った人がまちにどれだけいるかが大事。小さくても良いから最初にやる人がいないとダメで、そういう人がいないと、まちは永遠に今のままだろうなと…。
このまちににぎわいをつくるためにビルなどを買ってテナントさんを探すにしても、今の私には説得力がない。まずは小さくでも良いから自分でやってみようと思いました。
この物件のオーナーの坂本さんに、矢田さんを通じてお店を開きたいという想いを伝え、空き店舗となっていた「福餅」を貸していただけることになりました。
お店をやることが目的ではなく、さらにその先にある“まちににぎわいをつくること”をみつめながら小さく始めます。
ただ、何かを始めるには熱量が必要で、まちのためでもあるかもしれないがあまりに自分からかけ離れていたら、熱量を保つことが難しくなることも。古着屋さんというアイデアは、どのように思いついたのでしょう。
近くに桑名市が運営しているリサイクル施設がありました。そこが衣類ゴミの中から状態の良い服を販売していました。私は古着が好きで、そこを桑名のビンテージショップと呼んで通っていました。
今は、その施設はなくなってしまったのですが、この地域は高齢者の方が多いしお寺のつながりもあったので、皆さん素敵な服を持っているのでは、という期待もありました。今ある地域資源の中で小さく始められることってなんだろうなと古着屋さんを思いつきました。
コンセプトは、「Our closet(みんなのクローゼット)」。
服を持ち帰り、また持ち寄ることで、関わる人の暮らしがより豊かになる場でありたいという思いが込められています。
お店で扱う古着の多くは、ご近所に住む方やその知人の方から寄付してもらった服で、最初に利用料金として3,000円/年を支払い、気に入った服を1着借りていきます。メンテナンスは自分で行い、返却すれば新しい服を借りることができます。
自然と何度もまちに足を運びたくなる仕掛けになっています。
にぎわいをつくるために、まちの外からお店に人が来るようしたかった。DVDレンタルで、返却期限なしで返したら次が借りられる仕組みがあって、すごく良いなというのがずっと頭の中にありました。
それを古着屋さんにあてはめたら在庫はそんなに減らないし、お店に何回も来てくれるので、まちと人、人と人との関係性をつくるには良い仕組みだと思い取り入れました。
外観を含め最初はなんだか無機質な感じがしました。
インタビューをしながらお店を眺めてみるうちに、物件オーナーでもある坂本さんと生駒さんが見守り合いながらお店を営む風景(インタビュー中は、坂本さんがお子さんの面倒を見てくれていました)が垣間見えました。
地域の方が坂本さんに用事がありふらっとお店に入ってくるなど、ここに訪れるうちに自然と人とまちがつながっていくような感覚に変わっていきました。
ぱっと見はただの服屋さんでいることが、自分の中でのこだわり。服選びも妥協はしたくなくて、まずはちゃんとした服屋さんでいたいです。
コミュニティ感を出したくないんです。なんか嫌じゃないですか。お店の話ともつながるのですが、ママや高齢者など属性でのつながりが少し苦手です。それよりも好みとか感性でつながる方が好きです。
大ナゴヤ大学の良いところって単純に面白いなと思って入ってきた人が、少しずつまちや社会のことに目が向いていき、新しい人がまちに関わるようになっていくことかなと思っています。
表向きはただの服屋の顔をして服が欲しくて来た人が、少しずつまちに目が向いていくようにしていきたい。最初は服かもしれないけど、周りの人も面白いなと感じて、まちにも広がっていったらうれしいです。
前の話と少しつながるかもしれないが、お店を自分でつくるとなると物事を決めていくための判断軸が必要となる。熱量だけでなく、そこに自分の信念も含まれていないとお店を続けていくことは難しいように思います。
最後に、お店をやるうえで大事にしていることを聞いてみました。
多様性というのが、単純に人の多様性だけではなく、関わり方の多様性もある地域が豊かであると思っています。
今までに里子を7人ぐらい育てている方がこの地域にいて、そのことが知られている場だとすごい人になって距離を置かれてしまうことがあるのですが、この方がお店に来たときは関係性がフラットで、皆さん服の話で盛り上がっています。
ひとつの切り口だけじゃなくて、まちの中に別の関わり方があることが良いんじゃないかな。それをまちの中でお店という形で表現しています。
行動しながら、想いを語り、小さく始めて軌道修正していく。
一人ひとりの小さな行動の積み重ねが、やがて大きなうねりを生み出していくのではないでしょうか。