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大ナゴヤノート.
2019年03月20日

菩薩様が極楽からやってくる祭り。江戸時代から170年続く「二十五菩薩お練り供養」

まちににぎわいを生む祭り。

そこに住む人たちがずっと大切にしてきた歴史あり。

はたまた、昔とは少しずつ変わってきたところもあり。

まちに根差した祭りの物語をのぞいてみます。

 

いつか極楽へいくとき、菩薩様がお迎えに来てくださる。

仏教の世界では、そんな言い伝えによって死への恐れをやわらげてきました。

菩薩様が迎えに来る様子は「来迎図」という絵に描かれ、人々に広められてきました。

さらに日本各地で、この「来迎図」の絵を真似て演じる催しが「二十五菩薩来迎会」「二十五菩薩練供養」などの呼び名で行われてきました。奈良県当麻寺(たいまでら)のものが有名ですね。

「日本各地」とは言ったものの、来迎会が今も開かれているのは全国で30ヶ所ほど。東海圏では2ヶ所しかないそうです。今回取り上げるのはそのひとつ、愛知県あま市の蓮華寺で開かれる「二十五菩薩お練り供養」。まちに寄り添い変化してきた歴史を、あま市美和歴史民俗資料館学芸員の近藤博さんにお話を聞きました。

蓮華寺は、弘法大師空海が818年に開いた真言宗のお寺。昨年、開山1200年を超えた由緒ある寺院です。

このお寺で「お練り供養」が始まったきっかけは、なんと織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ち。比叡山の僧侶が織田家家臣に、恵心僧都の描いた来迎図を「燃やしてはならぬ」と託し、それが蓮華寺へと届けられたといいます(恵心僧都は有名なお坊さん)。

時は流れ、江戸時代の終わり頃。1842年の弘法大師像の公開に合わせてお練り供養が行われ、それからずっと続けられてきたといいます。実に170年以上。現在、練供養を行っている寺の中でも、これだけの期間、途切れずに続いているのは数えるほどしかありません。

 

あま市に合併する前、旧美和町の頃には、お練り供養の日は小学校が休みになって、露店もたくさん出るなど、地域をあげてにぎわうお祭りでした。また、昔から蓮華寺では、この日に合わせて「花の撓(はなのとう)」という、その年の豊作凶作を占った結果を示す飾り付けもされます。

かつては、この地域に嫁入りして来た女性を紹介する場でもあり「嫁見の開帳」とも呼ばれていました。近年では、蓮華寺を菩提寺とし、阿波藩主になった武将・蜂須賀氏になぞらえて、阿波踊りも披露されています。

こうした試行錯誤の歴史をみても、このまちにとってお練り供養は、地域の人たちが集える場として大切にされて来た催しといえるでしょうね。

現在、「二十五菩薩お練り供養」は、毎年4月の第3日曜日に行われ、境内には市の内外から約300人の人が集まります(2019年は4月21日開催)。大勢の人が見守る中、広い境内につくられた本堂からのびる一本道を25の菩薩に扮した人たちが、来迎図さながらに練り歩きます。多くの参拝者のお目当ては「極楽からやって来た菩薩様に触ってもらうこと」。菩薩様に触れて、厄を払ってもらおうと、声をかけ、手を伸ばします。

「ん?厄が落ちる?お練り供養にそんなご利益が?」と思われる人もいるでしょう。来迎図を演じる趣旨からすると、そんなご利益はないそうです。菩薩様に触れられるというありがたみが、いつからか厄落としという口コミになったのかもしれませんね。とはいえ、「厄が落ちるよ!」という話は蓮華寺の住職も公認のもの。ご住職がいうなら間違いありません(笑)

 

日本全国に数多とお寺があってもなかなか見られない催しであり、時代によって変化しながらまちににぎわいをつくってきたお祭りでもある「二十五菩薩お練り供養」。陽気な春の日に足を運んでみてはいかがですか。

写真提供/あま市美和歴史民俗資料館

小林優太

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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