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大ナゴヤノート.
2020年11月04日

猫にはすぐに会えるけれど、龍はなかなか見つからない龍泉寺観音。「観音さま」とまちをめぐるvol.4

「観音さま」とまちをめぐる第4弾。今回は、これまでに足を運んだ笠寺観音、甚目寺観音、荒子観音とともに「尾張四観音」に数えられる、名古屋市守山区の龍泉寺観音へ。
改めてご説明すると、「尾張四観音」は、名古屋城がつくられた際に尾張を守護する観音として選ばれた観音さま。尾張地方では毎年、節分の恵方を四観音で順番に回します。

龍泉寺観音の正式名称は「松洞山大行院龍泉寺」。創建されたのは延暦年間(782〜806年)。795年(延暦14年)に熱田神宮を訪れていた伝教大師・最澄が起こしたとされます。天台宗の開祖である最澄の名は、社会の授業などで聞き覚えのある人も多いのでは。

最澄は熱田で龍神のお告げを受けて、この地へやってきたと伝えられています。龍が住む多々羅池(たたらいけ)のほとりで経を読むと、池から龍と馬頭観音が現れた。最澄はその観音さまを安置し、これが「龍泉寺」の名前の由来にもなった出来事だそうです。本尊の馬頭観音は、外からは見られない秘仏として本堂に祀られています。

龍泉寺観音の特徴のひとつは、小高い山の上に建っていること。私は自動車で行きましたが、最寄りのゆとりーとラインのバス停「竜泉寺」から歩いて登ろうと思うと、数分の道のりながらちょっといい運動になりそう。見晴らしもよく、濃尾平野の広々とした景色が広がっています。

遠くを見渡せる場所というのは、戦のときに重宝されるものです。戦国時代には、ここに陣が張られるなど、何度も戦の拠点になりました。織田信長や豊臣秀吉も利用したのだとか。

1556年(弘治2年)には、織田信長の弟の信行が龍泉寺城を建てました。現在、境内には1964年(昭和39年)に復元された城があり、宝物館として使われています。日曜祝日には、収蔵されている龍泉寺の寺宝を見ることができます。

かつては戦の舞台になったお寺も、今は実にのどかな雰囲気。小高い山の上にあることもあってとても静かです。それゆえなのか、境内でのんびりと過ごす猫たちの姿も見られます。龍泉寺のWebサイトを見ると、なんと「龍泉寺の猫たち」というページまで。猫推しの観音さまなのか。そこに書かれた言葉を引用すると…

いつの頃からでしょうか、龍泉寺界隈には観音様の御心に導かれてか、数匹の猫が憩うようになりました。
今では、その微笑ましい姿で、参詣される方々をホッと癒してくれる存在です。

定期的に猫たちの写真や動画もアップされており、事前の情報収集でもとっても心が穏やかに。そして、足を運ぶと本当にあちこちにいる。ゴロゴロと気持ちよさそうに日向ぼっこする猫たちに癒しをいただきました。

お参りもした、猫たちにも会えた、でも実は私が一番見たかったものは他にあったんです。それは「龍神さまのほこら」。言い伝えにあった龍神さまを祀ったほこらがどこかにあるらしいのです。けれど、境内にはそれらしきものは見つかりません。

いったいどこにあるのか。境内を出て、霊園など敷地内をまわってみました。ご紹介した通り、龍泉寺があるのは戦の拠点にできるほどの山の上。坂や階段の上り下りは楽ではありません。とはいえ、龍神さまに会わずに帰るわけにはいかぬと、霊園の隅々まで目を凝らしてうろうろ。気が付くと30分近い時間が過ぎていました。

そしてついに、木が生い茂る山の中にそれらしきものを発見!どうかあれであってくださいと祈りながら近づいてみました。

ほこらの脇の石碑に「大泉龍王」の文字!やっと見つかった!
正直、「こんなところにあったのか」という、ふらりと参詣しただけでは絶対に気づかない場所だと思います。妙な達成感とともに龍神さまに手を合わせ、龍泉寺をあとにしました。

猫はいっぱいいるけれど、龍神さまを見つけるのは簡単ではなかった龍泉寺観音。敷地内のどこにあるかは記しませんので、みなさんもぜひ龍泉寺を訪ねて探してみてください。

「観音さまをめぐろう」と思い立って約1年半。ゆっくりなペースですが、まずは尾張四観音をすべてめぐりました。観音さまを通して見えてくる、その地の歴史を引き続き追いかけていきたいです。素敵な「観音さま」の情報提供も引き続きお待ちしております!

写真/小林優太

小林優太

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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