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大ナゴヤノート.
2022年09月14日

あなたのまちの風景印。見つめて書きとめた夏

郵便物の切手に押される消印。普段よく目にするのは投函日と郵便局名が書かれた無機質なものですが、それ以外にもあることをご存じですか。実は上の写真のものも、観光用の記念スタンプのようにも見えますがれっきとした消印の一種なのです。
「風景印」と呼ばれ、通常よりも大きめの枠内に、その郵便局のある地域の風物などが描かれています。鳶色のインクで押印されるのも特徴。全国の約11,000*1の郵便局に用意されており、日本郵便のwebサイトでも一部の局の印影を見ることができます。

*1 国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部「風景印って知ってますか?」より。風景印のもらい方などもこちらを参照いただくと良いかと思います。

子どもの頃からこの風景印が好きで、旅行に出かけたときなどにその土地の郵便局から友達や自分自身に宛てて風景印つきの手紙を出していました。ただ最近は、郵便局が開いている平日に遠出する機会があまりないので、風景印から少し遠ざかっており…。そんな中、ふとその存在を思い出し、「そうだ、大ナゴヤノート.のエディターたちは風景印を見てどんな反応をするだろう、なにを書きとめるかな」と、ちょっとした遊びゴコロが湧いてきました。折しも夏、暑中見舞いを送り合うにはちょうど良い時季です。

編集会議で企画案を出したところ、ほとんどのエディターは風景印をはじめて知った様子でしたが、反応は上々。かくして編集チームの暑中見舞い交換が始まりました。各エディターがこの夏出かけた先や身近なエリアの郵便局から風景印つきの暑中(残暑)見舞いを発送。受け取る側は手元に届くまでどこの風景印が押されているか知りません。さて、私を含め6人のエディターたち*2はそれぞれの風景印をどんなふうに見つめたのでしょうか。

*2 まだ記事を執筆していない新人エディターも参加しています。デビューをお楽しみに!

名古屋戸田郵便局(愛知県名古屋市)


「戸田?そういえばどのあたりだっけ」
残暑見舞いが届いてまず浮かんだのは、恥ずかしながらこんな疑問でした。「あ、戸田川緑地!港区かな」と調べてみると、「戸田」があるのは中川区(苦笑)地名に聞き覚えがないわけではなかったけれど、頭の中の地図がいかにぼんやりしたものかを思い知ります。
描かれているのは、戸田まつりの山車、「戸田城跡」、戸田川沿いの風景のみっつ。中川区のwebサイトによると戸田まつりは、江戸時代から300年以上の歴史があり、立派な山車やからくり人形の芸が有名とのこと。毎年10月初旬に開かれているようなので、足を運んでみたいと意欲が高まりました。知れば興味をそそられるものが、近所にまだまだありますね。まつりに出かけた折には、戸田城跡と戸田川の景色も探してみようと思います。
(送り主:脇田佑希子、文:小林優太)

戸田まつりは4年に一度、5つの村の山車が出揃います。前回の山車揃えが2018年だったので、その流れで行けばこの秋また山車が揃うはず。コロナ禍でここ2年ほど開催されていませんでしたが、もし無事に開催されたらぜひ、近くに住んでいながら戸田の位置を把握していなかったという彼に戸田まつりの記事を書いてもらいたいところです。

ちなみに、左下に描かれている「戸田城跡」という石碑らしきものは、どうも実在しないようです…!戸田城があった場所は、「壹之割」の山車が保管されている八幡社付近。ですが、このあたりをよく通る私も、こんな石碑は見かけた記憶がありません。それとも、人知れずどこかに存在しているのでしょうか。

名古屋東山郵便局(愛知県名古屋市)


動物たちの風景印。手前にはコアラ、後ろにはゾウや巨大なヒヨコ(?)らしき姿が描かれています。ただ、このコアラは目が真っ黒なのでちょっと怖い…。動物園にはいろんな可愛い動物がいるのに、なぜコアラが主役に選ばれたのでしょうか。どうやら、日本で一番最初に来園したのが東山動植物園らしいです。他にも繁殖に成功するなど誇るべき歴史が。だから東山といえばコアラなのか!
もうひとつ気になるのは、「万葉の散歩道」の文字。「万葉」というからには『万葉集』となにかゆかりがあるのでは、と期待が膨らみます。ところが、これは植物園にある散歩道。万葉集から植物を詠んだ歌を100首公募で選び、歌を刻んだ石碑や立て札とともにその植物を植えたのだとか。読みが外れて少しがっかり。ですが、せっかく知ることができたので、遊びに行くときには「コアラ」と「万葉」、このふたつに注目しようと思います。実際に見てみると楽しめるかも。
(送り主:太田美佳、文:ジェイ)

ジェイくんが「ゾウや巨大なヒヨコ(?)」と表現している箇所は、東山動植物園の正門を描いたものだそうです。といっても、現在の東山動植物園の正門にはポップなキャラクターが並んでおり、ここに描かれている正門とは様子が異なるもよう…。この風景印の使用が開始されたのは1985年とのことなので、その頃の正門なのでしょうか。画像検索で出てくる過去の正門の写真では、似たものは見つかりませんでした。ひょっとして「戸田城跡」と同様に架空の正門だったりして(笑)

一方、「万葉の散歩道」の石碑については、ちゃんと実在するようです。…石碑どころか、そんな散歩道ありましたっけ(苦笑)“東山といえば~”のコアラとは真逆の位置にあるような気がするのですが、このギャップをひとつに収めることができるのも風景印のなせる業かしら。

鳥羽郵便局(三重県鳥羽市)


こちらをじっと見つめるラッコの姿にときめきました!鳥羽市にある鳥羽水族館は日本ではじめてラッコの赤ちゃんが生まれた水族館で、ブームの火付け役となった「ラッコの聖地」。2022年現在、国内の水族園館で飼育されているわずか3頭のラッコのうち、2頭が鳥羽水族館にいるそうです。今も昔も変わらず愛されているこのつぶらな瞳のいきものが風景印に登場するのも納得ですね。
ラッコの隣には海女さんが並びます。海女漁の歴史は『万葉集』にまで遡り、印のふちをなす真珠の養殖にも海女さんは欠かせない存在だったとのこと。白い衣を身にまとって海に潜る様子を想像すると、なんだか神秘的です。鳥羽の海に想いを馳せるうちに、気づけばさっきまでの暑さはどこへやら。風景印を通じて「涼」を感じることができました。
(送り主:小林優太、文:細川明日香)

送り主はラッコ好きのエディター。彼らしい風景印のチョイスですね。鳥羽郵便局ではユニークな風景印の受け付け方を取り入れており、鳥羽水族館前にある「ラッコポスト」に手紙を投函すれば押印してもらえるのだとか*3

鳥羽郵便局の風景印の注目ポイントは、なんといっても真珠のふちどりでしょう。多くの風景印の枠は細線の円形ですが、このように細線以外で囲まれたものや、枠全体がご当地のなにかをかたどっているものなども全国にはあります。全種の風景印を集めるのは大変そうなので、変形タイプの風景印に絞って集めてみる、というのはひとつの手かもしれません(いやそれでも大変か)。

*3 全国には他にも同様の仕組みの“風景印ポスト”がいくつかあります。

緑郵便局(愛知県名古屋市)


「東海道五拾三次の内 鳴海」とあり、歌川広重の浮世絵のひとつのようです。原画「鳴海・名物有松絞」を見ると、繊細な美しさを感じる藍色の有松絞りと店先の様子が印象的。何度か足を運んだことがある有松で、なにげなく見ていた景色と重なりました。江戸時代に描かれているとおりのまちなみが今も残っていることに驚きを感じます。駕籠(かご)に乗って江戸に向かう旅人がフラっと街道の先から歩いてきても違和感のない、静寂と独特の空気感がこのまちにはあるような気がするのは私だけでしょうか。合理化や成長が求められ観光地も画一化する現代の考え方とは逆をいく、有松の「美意識」をこの風景印に垣間見ることができました。
(送り主:榊原あかね、文:太田美佳)
参考
「文化遺産オンライン」東海道五拾三次之内 41 鳴海《名物有松絞》

緑区の有松は「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されているまち。風景印の右側の駕籠の一行が描かれていなかったら、現代の緑区内の景色を描いたものといわれてもわからないかもしれませんね。

ところで、参考リンクの原画とその解説を見てひとつ気づいたことが。原画ではお店の暖簾に歌川広重の名をデザインした紋が描かれているのに対し、風景印ではそれが描かれていません!うーん、惜しいなぁ(笑)…とはいえ、これまで「東海道五拾三次」をまじまじと見たことのなかった私には、思いがけず浮世絵の見どころの勉強にもなりました。

京都三条大橋郵便局(京都府京都市)


丸い枠内に大きな橋。橋の下には広い川が見えます。この橋は、鴨川にかかり京都の東西を結ぶ「三条大橋」。東海道の終点です。橋の上には笠らしきものを被った人や駕籠のようなものも。さまざまな業種の人々がにぎやかに行き交っている様子が想像できます。
それにしても、なんだか見覚えのある作風の絵柄。これってもしや…。確かめるとやはり、歌川広重の浮世絵「東海道五拾三次」をもとにした絵柄でした。なぜピンと来たのかといえば、私が出した暑中見舞いの風景印も「東海道五拾三次」の絵柄だったから。偶然の一致に心が躍りました。三条大橋と、我が地元の鳴海・有松は東海道で続いています。江戸時代は移動にどれだけの日数がかかったのでしょう。昔から往来があったであろう京都と名古屋を現代の郵便でつないだことに、時間と場所を渡ったような不思議な感覚を覚えました。
(送り主:細川明日香、文:榊原あかね)
参考
「文化遺産オンライン」東海道五拾三次之内 55 京師《三条大橋》

確かにふたつの風景印を見比べると、雰囲気がよく似ていますね。でも、そこからさらに「ピンと来た」のは、いつも鳴海・有松のまちを見ているあかねさんだからこそではないかとも感じました。そんな彼女のもとに東海道の終点から暑中見舞いが届き、彼女もまた鳴海宿の絵の風景印で暑中見舞いを出している、なんとも不思議なめぐり合わせです。

こちらも原画の解説を参照すると、浮世絵の中の三条大橋の橋桁は木組みなのに、実際の橋桁は石組みだったようです。「東海道五拾三次」において「リアルに描かれていたのは『三島』あたりまで」とも。なんということでしょう!先ほどの「鳴海」の景色も、広重は自分の目では見ておらず、想像もしくは資料をもとに描いた可能性が…?今、衝撃の事実を知ってしまいました(苦笑)

知立本町郵便局(愛知県知立市)


右に描かれている二重の塔は、知立神社の多宝塔。ん?塔って、神社じゃなくてお寺にあるものでは…。かすかに引っかかりを覚えた感覚は間違っていなかったらしく、神仏習合の時代の知立神社の境内には神宮寺があったとのこと。多宝塔もその神宮寺に併せて建てられたもので、明治初めの廃仏毀釈の際には取り壊しの危機にありました。
興味深かったのはどうやってその危機を乗り越えたのかという話です。仏塔らしさをなくすために建物の装飾を外して屋根はこけら葺きから瓦葺きにし、「多宝塔」ではなく「知立文庫」と称することで難を免れたのだとか。
改めて風景印を見ると、描かれているのはこけら葺き…不思議だと思いませんか。瓦屋根が描かれていないのは、大正時代の修理で元の多宝塔に戻されたから。わずか半世紀ほどの間に2度も姿を変えているのですね。いや、まさかひとつの風景印からこんなドラマチックな建物に出逢えるとは!
(送り主:ジェイ、文:脇田佑希子)
参考
「みかわこまち」重要文化財 知立神社多宝塔
 (瓦葺きの知立文庫の写真が見られます)

知立も東海道の宿場町。風景印にさりげなく示されているとおり、「39」番目の宿場「池鯉鮒」です。てっきり「池鯉鮒」がもともとの地名表記かと思っていましたが、これは江戸時代に使われるようになった“チリュウ”の当て字だそう。もとは「知立/智立」で、鎌倉時代には「智鯉鮒」となるなど、多宝塔の姿と同じく地名表記も変遷を重ねて今に至っているのでした。

なおこの企画を実施するにあたって、どこで風景印を押してもらうかは送り手のエディターの独断に任せており、エディター間で示し合わせてはいません。にもかかわらず、なんと6個中3個が東海道にまつわる風景印!風景印って東海道ネタが多いのかしら…。


6人がつづった風景印コラム、お楽しみいただけたでしょうか。私も久々に風景印に触れ、またこんなにもじっくり味わったことはなかったので、とても新鮮で面白かったです。

実をいうと最初は、この企画を読みがいのある記事に仕立てることができるのか、提案した張本人ながらちょっぴり不安でした。というのも、大ナゴヤノート.は本来、エディター各人が自分の視点でまちを見つめ、面白いと感じることや気づきを書きとめる場所。しかし今回は、自分の外からお題(風景印)を一方的に与えられるという正反対の形だからです。書き手にとっては“遠く”のまちを題材に、読みものを書くなんてハードルが高いのではと…。
ところがいざ自分の手元に暑中見舞いが届き、風景印を見つめていると、いくつもの気づきがあふれてくるではないですか。“遠く”のまちの風景印から、まだ見ぬまちの魅力と、まちをひも解くカギをたくさんもらいました。それはきっと他のエディターたちも同じだったことでしょう。

企画を終えてみての感想を彼らに尋ねると、「今まで自分で暑中見舞いを出そうなんて考えもしなかった。手書きするときの失敗できないドキドキが心地良い」「実家にも風景印つきの暑中見舞いを送ってみた」などと、それぞれにとって刺激になった様子が伝わってきました。
本当はこの記事の陰にまだまだたくさんのエピソードが生まれているのですが、これ以上長文にするわけにもいかないのでまた別の機会に…。これはもう、共著記事ではなく風景印ひとつで1本ずつの単著記事にするべきだった、それが今回の反省点です(笑)

写真:大ナゴヤノート.編集チーム
* トップの写真は名古屋丸の内郵便局の風景印。実は、筆者のもとにはジェイくんから2枚の暑中見舞いが届いていました(経緯詳細は割愛)。せっかくなので本文で使わなかったほうを記事イメージとして採用。

脇田佑希子

愛知県海部郡生まれ。なんちゃって理系のサイエンティスト+編集屋+瓦を追うひと。暇さえあれば軒丸瓦を探しにまちへ繰り出すおさんぽ好き。まちに埋もれたお宝を、人それぞれに発掘できるような“仕掛け”を創りたいと日々思案を重ねている。
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