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大ナゴヤノート.
2020年07月22日

まちの見方を真似すると
-大ナゴヤノート.エディターが瓦を探してみた-

とある日の大ナゴヤノート.のミーティングにて。
エディターのひとりから「わっきぃ*さんの影響で私も瓦を見るようになりました!」という一言が聞かれました。 * 大ナゴヤ大学での筆者の呼び名。

「まちを見つめて 書きとめて」のコンセプトのもと、私は自分の好きな瓦のことを書いていますが、その記事をいつも一番間近で真摯に読み込んでくれる彼らの目に、瓦はどんなふうに映っているのだろう。興味がわいてきます。ならば、みんなに瓦を探してもらおうではないか。ということで、今回は5人の大ナゴヤノート.エディターに、それぞれが見つけた瓦を紹介してもらいます!

蓮華寺(愛知県あま市)


わっきぃさんのInstagramで見つけた地元のお寺の瓦。近所に特徴的な瓦があるのならまずはそこからと足を運んでみました。愛知県あま市の蓮華寺。豊臣秀吉を支えた武将のひとり蜂須賀小六正勝の菩提寺です。境内の建物には、小六の家紋である「丸に卍」の軒丸瓦が並んでいます。そして、よーく見てみると、卍の向きが逆のもの、卍の線の幅が太いもの細いもの。なんともバリエーション豊かです。同じものに統一されていないのはなぜ。これも一種の建築デザインなのでしょうか。
(写真・文/小林優太)

仏教の象徴でもある「卍」入りの瓦は、他のお寺でもよく見かけます。が、蓮華寺の場合はお寺に縁のある蜂須賀氏の家紋と見るのが正しそう。線が太い細いなど、同じ意匠なのに細部が異なる紋様の入った瓦がひとつのお寺の中でさまざま見られることは、さほど珍しくありません。だって、すべての瓦を一時期に同じ職人さんがつくったとは限らないですもんね。
しかし卍の向きが逆というのは……私も蓮華寺を訪れて以来、気になっている謎です。「蜂須賀卍」との呼称まである家紋ならば、向きは一貫しているはずでは。もしかして瓦をつくるときに、向きをあまり気にせずつくってしまったのだろうか(笑)

…と、ここまで書いていてふと浮かんだのは、もしかしたら家紋の蜂須賀卍と仏教の卍を混在させている、つまり逆向きの卍は仏教の象徴として用いているのではなかろうかという仮説。いや、真相はわかりませんが…。もしなにかご存じの方がいらっしゃったらぜひご教示くださいませ。

注・卍の向きの意味については諸説あります。

稲葉仏壇店(愛知県名古屋市南区)


夫の勤務先の仏壇店入口です。屋根の上の鬼瓦ならぬ「大黒天」が珍しいかと。軒丸瓦は菊花紋かと思ったら、仏教建築に広く使われている蓮華紋でした。瓦も全部金箔の箔押しでド派手な名古屋風。とはいえ名古屋仏壇の宮殿(くうでん)を模したと思えば納得できます。余談ですが、仏壇の宮殿も反り屋根などいろいろな形があるらしく、きちんと軒丸瓦も施されていて興味深いです。
(写真・文/ゆみ)

先日、名古屋仏壇の職人であるご主人の話を執筆したゆみさんが注目したのは、そのご主人の職場の店先。商売繁盛の神様である大黒さまや恵比寿さまの飾り瓦は、商家などの屋根では時折お見かけしますよ。

それにしてもこちらの軒先ときたら、まっキンキン!ですね~。金箔が押された瓦は、織田信長が安土城に使ったのが最初と言われています。その後も時の天下人たちが権威を示すために用いたとか。また、信長の時代と秀吉の時代では金箔が押される部分が逆になるという違いもあり、それも金箔瓦の見どころのひとつなのですが、稲葉仏壇店さんはぜーんぶ金!これはこれでカッコ良いです、私も見に行かねば!

妙安寺(愛知県名古屋市熱田区)


まちなかをふらりと歩いていると、ふと目についた鬼瓦。般若のように、表情に力強い迫力があります。
金山駅から南西に歩くこと10分ほどのところにある、江戸時代には名古屋三景とも言われたらしい妙安寺。当時は海に面しており、鈴鹿山脈も見渡せるほど眺めが良かったそうです。
鬼さんも屋根からこの景色を見ていたのかもしれないと考えると、歴史の深さを感じられるとともに、なんだかワクワクしました。
(写真・文/おかん)

寺院が最も多い都道府県だという愛知県。そのせいか、名古屋の都心のビル街を歩いていると、ぽっかり時空を超えたように瓦屋根のお寺に遭遇することも。そんなまちあるきのワンシーンが私にとっても日常になっていますが、在りし日のお寺の周囲には今のような鉄筋コンクリートの建物はなく、遠くの山や海まで望めたはず。何十年、何百年と屋根の上から下界を見守っている鬼さんは、途中で世代交代もしているとは思いますが、うつりゆくまちの風景になにを思っているのでしょう。迫力のあるそのお顔は、最強のポーカーフェイス!…ですよねぇ(笑)

大垣城天守(岐阜県大垣市)


「まるで城を守る番犬みたいだ」それが、大垣城の天守閣の鬼瓦に抱いた最初の印象です。威圧的な目に柴犬のような耳を持ち、軒丸瓦の上からこちらの様子をじっとうかがっているように見えます。疫病や天災などから身を守るには神仏に祈る以外、対策方法が少なかった時代には、人々の心の拠り所だったのかもしれません。「きっと、たくさんの人たちを災いから守ってきたのだろうな」こんな想像をすると、ただのオブジェだった瓦がなんだかとてもありがたいものに見えてきました。
(写真・文/ジェイ)

鬼瓦を犬みたいだなんて、犬好きのジェイくんらしい!ジェイくんが「耳」と言っている部分は鬼の角だと思うけれど(笑)、そんなふうに自分の感性で自由に捉えるのも瓦の楽しみ方のひとつ。私もユニークな瓦を見ては「〇〇のはずだけど△△みたいだなぁ」などと想像を広げて面白がっています。

ところで、私はまだ登城したことのない大垣城。その鬼瓦を紹介するページがありました。

>大垣市文化事業団:大垣城よもやま話 その3

2009年から2年間にわたって行われた修復工事で、すべての瓦が国宝時代と同じ形・大きさのものに戻されたとのことですが、中でも私が最も気になったのは2・3枚目の鬼瓦の写真。「邪鬼とそれを押さえつける鬼」!? ジェイくん!せっかくならこっちの写真も撮ってこないと!!

深川神社(愛知県瀬戸市)


瀬戸の鎮守神を祀る深川神社。拝殿を彩るのは、青みがかった深みのある緑色の瓦です。これは釉薬をかけてつくられた、施釉瓦(せゆうがわら)と呼ばれるもの。特有のつやがあって、晴れた日にはきらきらと輝いています。いぶし瓦の、ぎらぎらと力強い見た目とは違い、ちょっと優しい印象。
瀬戸では、江戸時代前期から瓦が製造されてきたとの記録がありますが、1960年代以降は生産が途絶えてしまったとか。この緑色は、地元の人間からするとなんとも「瀬戸らしい!」と感じるものなので、もう新しくつくられていないと思うと、ちょっと残念でもあります…。そんなことを思いながら、ふと視線を上げると、鬼瓦に「深」の文字が。深川神社には幾度となく足を運んできましたが、初めて気づきました!わっきぃさんの影響ですね(笑)
(写真・文/いとうえん)

そう、この緑色の釉薬がかかった「緑釉瓦」は瀬戸特産の瓦のひとつ。かつては名古屋城にも使われていたようです。私は2017年の愛知県陶磁美術館の企画展「瓦万華鏡」で瀬戸の緑釉瓦について知りました。その後、実際に瀬戸を訪れた際にはあちこちで緑色のつやつやした瓦が見られて、おぉこれがあの!と感慨深く感じたのを覚えています。地元の人には見慣れた、どうってことのない風景なのかしらと思いきや、いとうえんさんの「瀬戸らしい!」の言葉になんだか私もほっとしたようなうれしいような。

ちなみに私が訪ねたときには、いぶし瓦で「深」などの文字が入ったものも境内に置かれていたはず。その話をいとうえんさんにしたところ、翌日再び深川神社に確認に行かれたそうで。「見当たらないからもう処分されてしまったのかも…と帰ろうとしたら最後の最後に見つけましたー!よくあそこに足を踏み入れましたね」と褒め言葉(?)とともに報告してくれました。
というわけで、いぶし瓦も現存しているようなので、緑釉瓦と見比べてみるのも楽しいですよ。その前に見つけるのが大変かも?


いかがでしたか。
どんな瓦を報告してくれるだろう、と企画の言い出しっぺである私自身わくわくどきどきでしたが、一人ひとり興味深い瓦を見つけてきてくれましたね。お寺や神社の瓦からお城やお店にある瓦まで、瓦のある場所もさまざまならば、金箔や釉薬が施されているなど、瓦のつくりもさまざま。地元だったり、出かけた先だったりで、気になる瓦を見つけてくれたようです。私もまだ見ぬ面白い瓦を教えてもらう良い機会になりました。

今度は皆さんにも同じように、瓦を探して気づきや想いを綴ってもらう「オープンノート.」を開催したいなと考えています。開催の準備が整いましたら改めてお知らせしますので、奮ってご参加くださいませ。

脇田 佑希子

愛知県海部郡生まれ。なんちゃって理系のサイエンティスト+編集屋+瓦を追うひと。暇さえあれば軒丸瓦を探しにまちへ繰り出すおさんぽ好き。まちに埋もれたお宝を、人それぞれに発掘できるような“仕掛け”を創りたいと日々思案を重ねている。
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