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大ナゴヤノート.
2021年04月21日

まちを 見つめて 書きとめて。“まち”ってどこのことでしょう?

2月7日に「大ナゴヤノート.エディター説明会」、3月7日には「『大ナゴヤノート.』的編集の教室」の第3弾を開催しました。たくさんの方にご参加いただき、ありがとうございました。今後も開催したいと考えています。

説明会や教室で、「大ナゴヤノート.」のコンセプトの核である“まち”に関する質問を投げかけていただきました。

「『大ナゴヤノート.』が、“まち”としているのはどこですか」
「記事のテーマはさまざまですが、“まち”にまつわるものならなんでも取り上げて良いのですか」

たしかに、“まち”という言葉は少し漠然としたものですよね。“まち”と聞いてどこを思い浮かべるか、どこまでの範囲を“まち”と呼ぶか、人それぞれでしょう。

「まちを 見つめて 書きとめて」。私たちは、このキャッチコピーのもとで2年ちょっと記事を書いてきました。いい機会なので、私たちが見つめる“まち”、書きとめている“まち”とは、どのようなものなのか振り返ってみたいと思います。
なお、“まち”に対する考え方や認識は、エディターそれぞれによっても異なるものであり、ここでは主に私、小林優太のスタンスを軸に書かせていただきますのでご了承ください。ひとつの考え方をきっかけに、みなさん自身のまちの見方を顧みていただけたらうれしいです。

「大ナゴヤノート.」は、名古屋を中心とするエリアで魅力的なヒト・モノ・コトをテーマに学びの場づくりをしてきた「大ナゴヤ大学」のメディアとして2019年3月にスタートしました。大ナゴヤ大学では、自分たちに身近な東海3県あたりを「大ナゴヤ圏」と呼んでいます。私たちの記事も、足の運びやすさもあり、自ずとこの「大ナゴヤ圏」の記事ばかりですね。でも、じゃあ地理的な範囲で区切っているかというと、そうではない気がします。

“まち”とは、「ここから、あそこまで」と決められるものではなく、日常生活を送ったり、働いたり、遊んだり、自分の暮らしの一場面が起こるすべての場所が、その人にとっての“まち”だと思うのです。足を運んで、その場所について知って、「面白いな」と感じ、新しい気づきを得る。そうして自分とつながりのできたところが“まち”であり、そこで見つけたものを大ナゴヤノート.に記していきたい。
だから、“まち”の範囲にしても、記事でなにを取り上げるかにしても、一番大切なのは書き手の「面白い、伝えたい」という気持ち。どんなに些細なことであっても、対象がなにかによって記事になるか否かを分けることはしません。エディターとまちのヒト・モノ・コトの間に生まれたつながりを文字として書き残し、可視化することを大切にしたいのです。自分が“まち”とどうつながったかを言葉にすることで、まちへの愛着を深めるきっかけにもなればと考えています。そして、そんなひとりの発信が、読み手の方々に伝播しながら、“まち”を多彩な視点で楽しめる人が増えたらいいなと。

私自身も、とある駅前にたたずむラッコの石像や、近所のお気に入りの魚屋さんを取り上げた記事を書かせてもらいました。いたって個人的な趣味嗜好全開の記事ですが、どちらも私なりの“まち”とのつながり方を書きとめたものです。どんな記事かは、よろしければ読んでみてください。

都会から田舎まで、それぞれの地域が個々の魅力発信に力を入れており、ネットで検索すれば情報は山ほど出てきます。そんな、みんなが「いいよ」ってオススメしてくれるものももちろん素敵ですが、自分はちょっと違った「いいな」を見つけることもありますよね。
多様な視点を持った人たちの学び合いを大切にしてきた大ナゴヤ大学。そのメディアである大ナゴヤノート.も、十人十色のまちのへの視点から気づき合いを生み出していきます。道端で同じものを見ても、出てくる言葉は違う。エディターそれぞれの“まち”の見つめ方を、ぜひこれからもお楽しみいただけましたら。

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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