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大ナゴヤノート.
2021年05月05日

“まちについての調べ学習”はなんのためのもの?まちを学ぶ目的を考えてみる。

「あなたの住むまちについて調べてみよう」

学校の社会科や総合的な学習の時間の課題、あるいは長いお休みの宿題で出てきそうなフレーズですね。私は普段、大学で非常勤講師として教育学の講義を担当させていただいています。先日、この自分の住むまちについての調べ学習をテーマに、大学生のみなさんと話す機会がありました。その中でひとりの学生からこんな投げかけが。

そもそも、自分の住むまちについて学ぶのはなんのためなんでしょうか。

その内容をなんのために学ぶのか。目的を明確にするのは大切です。そして、改めて考えてみると、まちについて学ぶ機会には、たくさんの可能性があるように思います。前回の「“まち”ってどこのことでしょう?」の記事に続き、せっかく考える機会をいただいたので、今回はこの話を記事に書きとめてみましょう。これも前回同様、この記事では私、小林優太のスタンスを軸に記させていただきます。なお、今回は「こんな授業をしましょうよ!」という個別具体的な話ではありません。読者のみなさんそれぞれの立ち位置から、まちについて学ぶ活動の目的を考え、確認するきっかけになれば。

まちについての調べ学習の目的はもちろん文部科学省の示す方針や「学習指導要領」に示されていますし、現場で授業を行う先生それぞれの目論見もあるでしょう。まちを調べる場合、地域性によっても異なる趣旨が考えられると思います。「まちの特産品や産業を知る」「自分のまちに誇りや愛着をもつ」「まちの抱える課題を考える」…挙げてみるといろいろな視点から考えられます。そんな中で、私はまちについて学ぶ機会が「まちを楽しめる感覚を養うきっかけ」になったら良いなと思うのです。

「私の住むまちは、なにもないところだ」と言う大人がいます。この言葉を聞くと、正直すごくさみしい。「なにもない」って本当でしょうか。なにがないのでしょう。誰もが知る有名なもの、食べたり遊んだりできる場所、他地域の人に自慢できるスポットですか。もしかしたら、少し違う視点を持つだけで、気づいていないまちの良さが見えてくるかもしれない。
逆に、特産品、伝統工芸、伝統芸能、観光名所など、まちの目玉になるものがあると、それらだけをみんなが推してしまうことも。それはそれで、ちょっと味気ない気も個人的にはします。まちのみんなが誇れるものも大事にしつつ、「私はこのまちのここが好き」っていう発見があってもいいですよね。

大ナゴヤ大学や大ナゴヤノート.に携わっていると、「そこに目をつける!?」とこっちが驚くような視点に気づかせてくれる人との出会いがたくさんあります。まちのモザイク壁画に詳しい人。あちこちのまちの瓦を追う人。看板などの文字に着目する人。建物、文化、食べ物、産業、地形、そして、そこで暮らす人。遠くに出かけなくても、すぐそばに新しい世界への目線を開かせてくれるヒト・モノ・コトがあふれていると度々気づかせてもらいました。
子どもたちにとって、まちを調べる学習は、身近なアレコレを通して新しい興味関心を得るチャンスです。まちの特徴を教えてもらうだけでなく、自分で「面白い」と感じるものと出会えたら、「なにもない」と決めつけずに次の学びへの意欲も湧いてくると思います(「面白い」と素直に発信できる環境も必要ですが)。そうしてまちを知ることを楽しみ、自分でまちの解像度を上げる力を磨いてほしい。それが地域への愛着の深まりや、自分の暮らすまちをより良く変えようとする活動にもつながっていくはずです。
さらに、「まちを楽しめる感覚」は、自分の生まれ育ったまちだけでなく、将来的に引っ越しなどした先でも生きるもの。人生、退屈しなくなるのでは。

いかがでしょう。「あなたの住むまちを調べる」というオーソドックスな学習に期待できる効果は、いくつもあると考えています。あなたのまちならどんなことができるでしょう。そして、あなたのまちで子どもたちにどんなことを学び、育ってもらいたいですか。思いを巡らせてみてください。
もし反響があれば、まちをフィールドにした学びの記事も書いてみたいなと思う今日この頃です。

小林優太

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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