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大ナゴヤノート.
2021年03月03日

祖父の家と柿の木

先日、祖父の家を手放しました。正確には「私が」ではなく「伯父が」ですが。

祖父が亡くなって20年近く。晩年は関東に住む伯父一家と暮らしていたので、その家は20年以上もの間、ほぼ空き家状態でした。考えてみれば、私の人生のうちでその家が「祖父の住む家」だった時間もほんのわずかだったといえます。祖父が家を離れてからは、私の親などが年に数回、建屋の換気や敷地の草むしりをしに行っていました。私も時々は同行していましたが、車で片道2時間ほどの距離にある、主のいない家に出向くのはおっくうでもあり、だんだんと足が遠のき…。

しかし、いざ祖父の家が人手に渡るとなると、なんだか急に寂しさがこみ上げてきました。ガス釜で炊いたごはんのにおい。食後はいつもこたつで寝ていた祖父の姿。祖父が近くで採ってきた竹で水鉄砲をつくってくれたこと。田植えや稲刈りの時期には大人たちが夜暗くなるまで田んぼに出ており、ひとりで留守番していた時間――。祖父と祖父の家にまつわるさまざまな思い出がよみがえります。

一方で、関東に居を構えた伯父にとっては、実家とはいえどもはや無用の長物。「売る」という決断に至るのも仕方ありません。交通の便も決して良くない田舎の古びた民家なので、破格の安値で取引成立したようです。
投げ売りするぐらいならいっそ私が継いでしまおうか。リノベーションして起業する?…実はそんなこともよぎりました。けれど、今の生活圏との距離や経済的な面なども考えれば「よしやるぞ」とはならず、今に至ります。

祖父の家の裏庭(というか畑)には、2本の柿の木がありました。かつては柿だけでなく、キウイやビワなどの木もあったのですが、世話する者がいなくなり、いつしか実をつけなくなってしまい…。ところが柿の木だけは、主を失っても毎年秋にたくさんの実をつけ続けていました。手入れをしていないので大きさは不揃いで、傷ついたものもたくさんあるものの、食べる分には問題なし。毎年10月には、草むしりや換気に加えて、裏の畑で柿を収穫してくるのも我が家の恒例作業でした。 

鳥たちへのおすそ分けを木に残しても、いくつもの段ボール箱に山盛りになるほどの柿。もちろん我が家だけでは食べきれないので、友人や仕事関係の柿好きな人たちに差し上げるのも恒例になっていました。「あの柿おいしかったわ~ありがとう!」配った数日後には何人もの方々から味の感想が返ってきて、誇らしくも感じられたものです。

そんな柿のなる木も、もう我が家のものではありません。木が残されるのか、切られてしまうのかも、私にはわかりません。でも、あの柿はもう味わえないんだ。頭ではわかっていてもまだ実感はないような。今年の10月が来たら、ふっと恋しくなるのでしょうか。

2020年10月に収穫した、最後の柿

作画:伊藤成美、写真:脇田佑希子

脇田 佑希子

愛知県海部郡生まれ。なんちゃって理系のサイエンティスト+編集屋+瓦を追うひと。暇さえあれば軒丸瓦を探しにまちへ繰り出すおさんぽ好き。まちに埋もれたお宝を、人それぞれに発掘できるような“仕掛け”を創りたいと日々思案を重ねている。
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