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大ナゴヤノート.
2021年08月18日

落ちているものから想像する人々の姿

落ちているものが面白いと思ったのは、なにげない日常からでした。

ここ数年、子どもと一緒に近所の公園へ行くのが日課となっています。子どもどうしで遊ぶ年齢になると、私は行ってもやることがなく、下を向いてぶらぶらと園内を歩き回るようになりました。わりときれいに掃除されてはいますが、よく見るといくつかゴミのようなものが。無視するのは気が引けて、拾いながらなにが落ちているのか観察してみました。

目につくのは、お菓子の空き袋。落とし主は、いつも遊んでいるあの無邪気な小学生たちでしょう。状況はたやすく想像できます。友達とお菓子を持ちよって食べていたけれど、すぐに次の遊びを思いついてそのまま走り出す。そして、夢中になるうちに空き袋のことはすっかり忘れてしまうのです。

普段私が公園で見かけるのは、子どもたちがほとんどです。しかし、私の知らない間にも公園を訪れる人がいて、痕跡を残しています。

ベンチのすぐそばに、コンビニの袋、弁当の空き容器、チューハイの空き缶が捨てられていました。仕事帰りの会社員が夕食を食べながら一杯、なんて光景が浮かびましたが、ここは住宅街。近くにオフィスも駅もありません。では、コンビニに行った後、なぜ家に帰らず公園で食事をしたのだろう。なにか嫌なことでもあったのか、それとも良いことがあって祝杯をあげたとか。ただ気分転換に外で飲みたかったのかもしれません。だとしたら、私とおんなじ。だって、子育て中の気分転換に息子を連れて公園へパンを食べに来たのだから。パンを頬張りながら、勝手に共感をおぼえてしまいました。

ときには心がザワッとするものもありました。それは、端が焦げたプリクラ。仲良さげな若い男女が写っているのですが、一部が燃えたように欠けています。このふたりにいったいなにがあったのか、想像せずにはいられません。

落ちているものを見つけるたびに立ち止まり、誰がどんな状況で落としていったのか思いを巡らせていたら、最初はゴミにしか見えなかったものが面白く見えてきました。落とし主からすれば、にやにやしている人がいるなんて気持ち悪いかもしれませんが。別の場所ではどんなものがあるだろう。もしかしたら、地域によって傾向があったり、見る人によって違うシチュエーションを思い浮かべたりするのでは。

好奇心とゴミ袋がふくらんできたところで、公園をあとにします。家から歩いてほんの数分の範囲でも、妄想を掻き立てるきっかけがありました。会ったこともない人のドラマを垣間見られたような。なんだか得をした気持ちで家に帰りました。

写真/榊原あかね

榊原 あかね

東京都生まれ、名古屋市育ち。旅行会社に勤めていたが退職し一児の母となる。現在は食べ歩き好きが高じてグルメライターとして活動中。名古屋で子育てをする中で地元に愛着を感じ、地域に貢献したいと漠然と思うように。大ナゴヤノート.では、生活者目線でまちの魅力を伝えたい。
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