さようなら、また会いましょう!「中日ビルさよならイベント」に足を運んで
閉館を迎えた中日ビルを大ナゴヤノート.のエディター3人で歩いてきました。それぞれが見つめた中日ビルの姿をみっつの記事で掲載します(他の記事へのリンクはこの記事の最後にも)。
母親と栄に出かけた帰り道。
「帰り、何か買い物していく?」
「そうだね、野菜買っておこうかしら」
そんな会話のあと足を運ぶのは、たいてい中日ビルでした。
地下1階にあった八百屋さんや乾物屋さん。沖縄県や長野県の物産ショップ。特になにかを買うわけでもなく、ただブラブラして目に留まったものを手に取る。疲れたらお茶をしたり、夏にはビールを楽しんだり。
中日ビルは、気負わず足を運べる場所だったと思います。
でも私にとって、実際に足を運んだことがあるのは、2階まで。正直なところ、中日ビル閉館のニュースが流れた際に父と母が「寂しくなるね」と口にする様子には、「そうだよね」と「そうなのか」という思いが湧き上がりました。
そういえば、当たり前にあった場所がなくなることって、はじめての体験かもしれない。だからそのことに、実感があまり持てないのかしら…。
そんな思いを抱きながら、足を運んできました。
「中日ビルさよならイベント」!
屋上や中日劇場、中日パレス、中日文化センターなど、今回初めて足を踏み入れるところばかりです。
名古屋三大劇場のひとつに数えられた中日劇場は、真っ赤なシートと独特の壁が印象的で、思わず何度もシャッターを切ってしまいました。
中日パレスのフロアでは、奥様方が館内図を見ながら「お部屋の名前って、栄や愛知にちなんで付けられているのね!」なんて推理を展開していました。(なるほど確かに、言われてみれば……!)
おかしな話かもしれませんが、目に映るすべてのものが、とっても新鮮でした。
「もうちょっと、足を運んでみても、良かったかな」
なんて言ったところで、私にとって馴染みある数少ない場所も、もう入れません。
天井に広がるモザイク画も、風景として馴染みすぎていて、こんなにキラキラとしていたことに気づいたのは、この日がはじめてだったと思います。
それでも、もうさよならなのです。
イベントを終えた夜、父と母に「中日ビルに行ってきたよ」と話したら、どうやら同じ時間、父と母も栄にいたそうで「行けば良かった!」とこぼしていました。
そして「入っていたお店はどこに行くんだろうな」「それにしてもあのラーメン屋は狭かったね」「結局、ビアガーデンには行かなかったな」「中日劇場もね」「中日パレスは行ったことがあるぞ」「中日文化センターの料理教室に通っていたのよ」と、私の話はそっちのけで中日ビル談義がスタート(笑)
ふたりにとっては、それこそオープンの頃から知っている場所。足を運んだ回数にかかわらず、思い出があるのでしょう。
屋上から見えるセントラルパークの工事の様子に、いよいよ栄のまちが生まれ変わってきているのだと実感しました。
「いつも、そこにある」なんてことは、ないのかもしれない。でもそんなことは、なくなることがわかるまで、意識できません。
だからこそ、今ある風景を楽しむことが大事なんじゃないかと、思ってやみません。
さようなら、中日ビル。次は、新しい装いでお会いしましょう!
写真:いとうえん
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