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大ナゴヤノート.
2019年04月03日

さようなら、また会いましょう!「中日ビルさよならイベント」に足を運んで

閉館を迎えた中日ビルを大ナゴヤノート.のエディター3人で歩いてきました。それぞれが見つめた中日ビルの姿をみっつの記事で掲載します(他の記事へのリンクはこの記事の最後にも)。

母親と栄に出かけた帰り道。
「帰り、何か買い物していく?」
「そうだね、野菜買っておこうかしら」
そんな会話のあと足を運ぶのは、たいてい中日ビルでした。

私にとって中日ビルいえば、地下街から続くこの入り口

地下1階にあった八百屋さんや乾物屋さん。沖縄県や長野県の物産ショップ。特になにかを買うわけでもなく、ただブラブラして目に留まったものを手に取る。疲れたらお茶をしたり、夏にはビールを楽しんだり。

中日ビルは、気負わず足を運べる場所だったと思います。

でも私にとって、実際に足を運んだことがあるのは、2階まで。正直なところ、中日ビル閉館のニュースが流れた際に父と母が「寂しくなるね」と口にする様子には、「そうだよね」と「そうなのか」という思いが湧き上がりました。

そういえば、当たり前にあった場所がなくなることって、はじめての体験かもしれない。だからそのことに、実感があまり持てないのかしら…?

そんな思いを持ちながら、足を運んできました。
「中日ビルさよならイベント」!

中日ビルのシンボル・回転展望レストラン

屋上や中日劇場、中日パレス、中日文化センターなど、今回初めて足を踏み入れるところばかりです。

ビアガーデンの販売ブースは、どことなくノスタルジック

名古屋三大劇場の一つに数えられた中日劇場は、真っ赤なシートと独特の壁が印象的で、思わず何度もシャッターを切ってしまいました。

箱馬が組み合わさったような、独特の壁

ここで、多くの観客が栄のまちを眺めながら開演を待っていたのでしょうか

中日パレスのフロアでは、奥様方が館内図を見ながら「お部屋の名前って、栄や愛知にちなんで付けられているのね!」なんて推理を展開していました。(なるほど確かに、言われてみれば……!)

クラウンはトヨタ、カトレアは松坂屋…?

照明のカッティングがとてもきれいで、絢爛さを演出していました

おかしな話かもしれませんが、目に映るすべてのものが、とっても新鮮でした。
「もうちょっと、足を運んでみても、よかったかな」
なんて言ったところで、私にとって馴染みある数少ない場所も、もう入れません。


天井に広がるモザイク画も、風景として馴染みすぎていて、こんなにキラキラとしていたことに気づいたのは、この日が初めてだったと思います。
それでも、もうさよならなのです。

私が一番馴染み深かった中日ビルタウンは入れませんでした

イベントを終えた夜、父と母に「中日ビルに行ってきたよ」と話したら、どうやら同じ時間、父と母も栄に居たそうで「行けばよかった!」とこぼしていました。

そして「入っていたお店はどこに行くんだろうな?」「それにしてもあのラーメン屋は狭かったね」「結局、ビアガーデンには行かなかったな」「中日劇場もね」「中日パレスは行ったことがあるぞ」「中日文化センターの料理教室に通っていたのよ」と、私の話はそっちのけで中日ビル談義がスタート(笑)

ふたりにとっては、それこそオープンの頃から知っている場所。足を運んだ回数にかかわらず、思い出があるのでしょう。

屋上から見えるセントラルパークの工事の様子に、いよいよ栄のまちが生まれ変わってきているのだと実感しました。

「いつも、そこにある」なんてことは、ないのかもしれない。でもそんなことは、なくなることがわかるまで、意識できません。

だからこそ、今ある風景を楽しむことが大事なんじゃないかと、思ってやみません。

さようなら、中日ビル。次は、新しい装いでお会いしましょう!

▼その他のエディターが見つめた中日ビルの姿はこちら

伊藤 成美

名古屋市生まれ、瀬戸市育ち。デザイナーや玩具の企画開発アシスタント、学習塾教材制作などを経て、縁あってwebメディア運営会社のライター職に就く。インタビュー記事の執筆を中心に経験を積んだ後、フリーランスに。大ナゴヤ大学では、ボラスタや授業コーディネーターとして活動中。
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