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大ナゴヤノート.
2019年04月17日

笠寺観音はなぜ「笠のお寺」なのか。「観音さま」とまちをめぐるvol.1

「観音さま」をめぐってみようと思いました。

みなさんの側にはいますか、「観音さま」。

観音菩薩像がまつられたお寺、「〇〇観音」とも呼ばれるお寺。

その周辺に住む人からは、親しみとともに「観音さん」「観音さま」と呼ばれていることも多いように感じます。

そんな観音さまをめぐって、まちとのつながりを見てみます。

今回ご紹介するのは、笠寺観音。

お寺の正式名称は「天林山笠覆寺(りゅうふくじ)」。真言宗(空海がはじめた宗派ですね)のお寺です。

名鉄「本笠寺」の駅から歩いて10分ほどのところにあります。

 

ちなみに「尾張四観音」はご存じでしょうか。

名古屋城がつくられた際に、四方から尾張を守護する観音さまとして選ばれた「荒子観音」「竜泉寺観音」「甚目寺観音」そして「笠寺観音」のこと。

尾張地方では、節分の恵方をこの4つで回すので、その年の恵方にあたる観音さまは大勢の人でにぎわいます。

 

そんな笠寺観音、一歩足を踏み入れると、まず目に入ってくるのは歴史の重みを感じる立派な本堂。私たちが訪れたのは、陽気な春の青空に桜のピンクもよく映える気持ちの良い日でした。

笠寺観音がひらかれたのは、736年(天平8年)。呼続の浜に漂着した霊木から善光上人という人が十一面観音を彫りおさめたのが、寺院としての始まりでした。このときの名前は「小松寺」。

それから200年ほど、小松寺は荒廃し、観音さまも雨風にさらされてしまっていました。同じ頃、鳴海の長者のもとに仕えるひとりの美しい女性が。美しさを妬まれて毎日こき使われていた彼女は、ある日、雨に濡れる観音さまを見て、笠をかぶせたといいます。

その後、女性は関白藤原基経の三男・兼平に見初められ妻となり、「玉照姫」と呼ばれます。930年(延長8年)、兼平と姫は観音さまへ参り、お堂を建てました。そして、姫が観音さまに笠をかぶせたことから、寺の名を「笠覆寺」とし、これが「笠寺観音」の由来となっているのです。なるほど。

このストーリー、笠寺観音でも案内されていますが、駅周辺の商店街に壁画で描かれています。漫画のようにつながっている絵。注意深く探して歩いてみるのも面白いと思います(写真を2枚だけ載せておきます。あとは見つけてみてください)。

この玉照姫のエピソードから、笠寺観音には縁結びのご利益があるといわれています。江戸時代には、「玉照姫のように玉の輿にのりたい!」と若い女性がここを訪れ、笠を買っていったとか。さらに、その笠をつくっていた人たちは、のちに帽子づくりを始め、笠寺周辺にはいくつもの製帽業者が軒を連ねたというお話も聞かせていただきました。歴史のエピソードがまちの人たちの働き方にも影響するなんて面白いですよね。

笠寺観音のお隣には、玉照姫の像が安置された「泉増院」もあります。

他にも笠寺観音の中には、よく見るとすごいものがいろいろと。

趣ある鐘楼に収められた梵鐘は、鎌倉時代につくられた、尾張三名鐘に選ばれるほどのもの。戦争中の軍への供出もまぬがれたそうです。今もこの中にあるのか、暗くて中をうかがうのはなかなか難しい…。

お墓の隅にある「切支丹(キリシタン)燈籠」。蓋を開けると中には、納骨穴と十字架。キリスト像のような彫刻もあり、キリスト教が弾圧された時代に、こっそり信仰するために使われていたもの。南区の『郷土史』には明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)の寄進と書かれています。全国的にも珍しいものだそうです。

さらに笠寺観音には、あの宮本武蔵の墓も!?

笠寺観音を囲む「笠覆寺十二坊」のひとつ東光院には、宮本武蔵との逸話が残っており、傷ついた武蔵を助けるために死を装ったという話も。ご興味のある方は、ぜひここを訪ねてみてください。

 

のぞいてみると、境内のもの一つひとつや観音さまを囲むまちの中に、興味深いエピソードがいっぱいです。

今でも、まちの中心であることは変わりません。このエリアでまちづくりに携わる人たちが、マーケット、ライブ、落語など、地域を盛り上げる場として活用されているそうです。

(笠寺のまちづくりに関わる方々の話も別の記事でご紹介できましたら)

 

昔も今も、笠寺のまちの拠点となってきた笠寺観音。本笠寺の駅前のまちなみと周辺のお寺とセットで、訪れてみてください。

写真/小林優太、伊藤友季子、横井祐子

 

【笠寺観音で開かれるイベント情報】

  • 毎月第4土曜日 手作りマルシェ かんのんひろば
  • 毎月第4土曜日 笠寺フリマクリマ
  • 6のつく日 笠寺六の市
  • 5月12日 第47回笠寺音楽フェス

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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