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大ナゴヤノート.
2020年08月19日

波乱万丈な那古野神社と隠された牛頭天王の歴史を紐解く。自分の働くまちの変遷をたどるvol.2

私は丸の内の那古野神社がずっと気になっています。

きっかけはある夏の日、仕事で取引先と丸の内で待ち合わせていたときのこと。約束の時間より早く到着したのでまちを歩いていたら、ビル群の一角に木々が生い茂っている場所がありました。

現れたのは「那古野神社」と刻まれた石標と鳥居。そういえば、私の勤めている会社にも那古野神社のお札があります。

石造りの鳥居は重厚感があります。

鳥居をくぐり散策してみると、境内には神社の本殿、金山神社や稲荷大社の他に、徳川の三つ葉葵の家紋を掲げる東照宮もあります。ただのオフィス街だと思っていた丸の内で徳川の家紋を見かけるなんて。なんだか急に由緒ある場所のように思えてきました。

実は誰にもわからない、本当の名前

まず気になったのが、この神社の名の読み方。昔は「なごや」を「那古野」と書いたようですが、一方で今の名古屋市西区に、この漢字で「なごの」と読む地域があります。那古野神社はいったい、どちらで読むのが正しいのでしょうか。そんなことを考えていたら案内板を見つけました。

境内にある名古屋市教育委員会によって設置された案内板。

ここには「那古野(なごや)神社」と書かれています。しかし、念のため愛知県神社庁から発行された「愛知縣神社名鑑」を開くと、「那古野(なごの)神社」と記載されていました。どちらが本当の読み方なのか。思い切って那古野神社に電話してみます。

諸説あるのですが「なごや神社」だと思います。もともとは尾張国那古野庄(おわりのくになごやのしょう)という荘園の名前だったんです。

謎が解けました。ではなぜ「なごの」で登録されているのでしょうか。

さぁ、どういった経緯で神社庁に「なごの」と登録されたのかわからないのですが、先代からは「本当は『なごや神社』と呼ぶんだよ」と聞いています。私もどちらで呼ぶのかが気になって、時々、図書館に行って調べるのですが、正確なことはわかっていないんですよ。

神職の人でも登録された理由はわからないようですが、だからこそ「ひょっとして政治的な思惑があったのかな」などと想像力が掻き立てられます。

隠された牛頭天王

もうひとつ境内の案内板で気になったのは、今の名は那古野神社なのに911年に創建されたときには「天王社」と呼ばれたらしいこと。そこで天王社について図書館で調べると、天王社に祀られているのは仏教の牛頭天王、そして牛頭天王が人間界に降りる際の姿が須佐之男神とわかりました。

那古野神社は、かつては名古屋城の正門の辺り(三の丸)に位置し、三の丸天王社あるいは亀尾天王社と呼ばれていたようです。織田と今川の那古野合戦(1532年)で焼失するも織田氏により再建。その後、豊臣氏から寄進を受けました。

那古野神社の神紋である木瓜紋が描かれた提灯。

江戸時代には名古屋城が築城された後、城の鎮守神として崇敬されていったとのこと。また、夏には名古屋三大祭りのひとつの三の丸天王祭が行われ、人形を載せた山車が出るなどし、町民に親しまれてきました。このお祭りは今も「天王祭」と呼ばれ、毎年まちをにぎわせています。

「天王」の文字が刻まれた灯籠。天王社の名残かもしれませんね。

明治時代になると神仏分離令が発布され、全国で廃仏毀釈が起きます。この運動により三の丸天王社も「須佐之男神社」への改名を余儀なくされ、管轄を県へ移管。1876年、陸軍の名古屋鎮台が三の丸に設置されるに伴い現在の地へ移転し、名称は「那古野神社」に変更されました。

戦時中には空襲で再び焼けてしまいましたが、戦後、多くの人たちの寄付によって再建されます。神職の方も電話で「氏子やまちの人に支えられてきたのが特徴なんですよね」と話してくださいました。天王社から須佐之男神社、那古野神社へと改名を繰り返してきたこの神社が、今もまちの人に親しまれているのは、ひとえに名前よりもこの場所そのものが愛されているからだと感じます。
偶然見つけ、気になっていた場所。紐解くと、1,000年以上の歴史を持ち、時代の流れに翻弄されながらも今日まで残っているものだと知り、愛着が湧いてきました。会社にあったお札もなんだかとてもありがたいものに感じられます。来年の天王祭が今から待ち遠しい。きっと味わい深いものになるはず。

 

>参考文献
中日新聞社開発局「愛知百科事典」(1976年)
愛知県郷土資料刊行会「復刻版名古屋市史・社寺編」(1980年)
下中邦彦「愛知県の地名」(1981年)
角川日本地名大辞典編纂委員会「角川日本地名大辞典 23」(1989年)
愛知県神社庁「愛知縣神社名鑑」(1992年)
川村湊「牛頭天王と蘇民将来伝説」(2007年)

写真/ジェイ

ジェイ

大阪府生まれ。小学生で神奈川県へ。東京の大学を卒業し、就職後、名古屋へ配属される。子どもの頃から引っ越しを繰り返し、地元愛を感じられる場所を持たないため、愛知を地元にすべく、大ナゴヤ大学のボランティアスタッフとして活動中。
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