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大ナゴヤノート.
2024年03月27日

気がつけば山村の住人に
-下栗で見つけた新しい物語-

耕して天に至る。標高1,000mの山の斜面に位置する下栗集落は、その言葉にふさわしい長野県飯田市の山村です。周囲すべてを山に囲まれており、まるで緑の海に浮かんでいるよう。山村の人々は受け継がれてきたアワやヒエを急斜面の畑で今でもつくるなど、昔ながらの生活が残されています。山村の人々の暮らしについて研究している私は、調査のためにこの地に滞在することにしました。郊外のニュータウンで生まれ育った私にとって、畑で作物を育て、山で獣を撃ち、神社で祭事を行う村人の一挙手一投足が驚きの連続。都会育ちの自分とは異なる生活への理解を深めたいと思い、私は村人と一緒に行動するようになったのでした。

あるときは、ひとりで住む80代のおばあちゃんのソバの収穫を手伝いました。急斜面の畑でソバを刈り取り、運搬した後に束にして干すという作業。農作業は素人でしたが、体力のある若い自分にとっては問題ないだろうと高を括っていたのもつかの間、おばあちゃんにかなわないことを思い知らされます。傾斜のきつい農地を慣れた足どりで進み、作物を収穫するおばあちゃん。歩くのも一苦労であたふたしてばかりの私を優しく見守ってくれ、収穫などの仕方を手取り足取り教えてくれました。不思議だったのは、農業で生計を立てているわけでもないのに、80歳を超えても畑仕事を続けていること。腰が曲がっても畑にしっかりと立つ後ろ姿を見ていると、受け継いできた畑や作物を守りたいという強い思いがその理由なのかと想像できました。

またあるときは、下栗の伝統的な行事である霜月祭りに参加しました。霜月祭りは毎年冬至の頃に全国の神々を招き、お湯でもてなし、太陽と生命の復活を祈る儀式です。生木を焚いて出る煙と、大釜の水を沸騰させて出る湯気が充満した社殿の中で夜通し行われる神事や舞。ときには冗談を言って笑わせてくれる村の人々が、今日は真摯に自らの役割に向き合います。過酷な環境で続く神事にくたくたになりつつも、私の目には祭りを行う村人の姿勢がはっきりと焼き付きました。祭りの担い手の普段の様子を知りながら参加すると、どれほど村人にとって重要な祭りなのか深く理解できたように思います。

本当にあの下栗という場所は存在するのだろうか。自分と話したあのおじいちゃん、おばあちゃんは本当には存在しないのではないか。

この感覚は、バスを乗り継いで夜の名古屋に帰着するたびに私の心に深く刻まれました。下栗で見られたのは、滅多に見ることのない人影、天に届くかと思われる山なみ、闇夜を照らす星月の光。一方、名古屋では、帰宅ラッシュでごった返す人々、乱立するビルの数々、真昼かと間違うほどのまちの灯り。あまりにも大きな違いを認識しては奇妙な気持ちになります。

何度か名古屋と下栗を行き来するうちに、幼い頃に物語を読んだ後に同じ心境になっていたことを思い出しました。かつて持っていたのは、外側から物語をなぞる読者としての視点ではなく、内側から物語を捉える登場人物の視点。読書中は自分も登場人物たちと同じ空気や感情を共有していたけれど、本を閉じると一気に現実に引き戻されるため、そのギャップに戸惑いを覚えたものです。しかし、成長するにつれて「この設定には無理があるのでは」などと物語を外側から捉えるようになり、本を読んでもあの感覚に陥ることは少なくなっていきました。

はじめて下栗を訪れたときは、物語を外側から読むように地域を捉えていたような気がします。ところが、村人と多くの時間を過ごし、一人ひとりの思いに触れて下栗という物語に入り込んだ結果、住人と同じ視点で下栗を見はじめました。下栗にいるときは名古屋が別世界になり、名古屋へ帰ると下栗が別世界になる。気がつけば、「山村での生活」という物語が心の書架に追加されていました。読むと、異なる人の気持ちや考え方に触れられる物語。名古屋へ戻るたびに、物語から現実へと視点が切り替わるため、「本当に下栗という場所は存在するのか」という疑問を抱いたのでしょう。

大人になると、「より広い視野を持って」などと客観的な判断を求められることが多くなると感じます。一方で、自分から一歩離れた客観的な視点を意識するあまり、自分本来の思いがわからずに悩むことも多々ある今日この頃。「自分の見たもの、感じたものを信じたら良いんだよ。確かに自分の目で見てきたこと、感じたことはここにあるよ」。自分の視点で紡いだ物語は私にこう語りかけ、ちょっぴり勇気をくれる存在となっています。

写真提供:WAEZ ZADA Sayed Abdullah
写真:上田 隆太郎

上田 隆太郎

兵庫県神戸市生まれ。大学進学を機に名古屋へ引っ越す。地元神戸の山によく祖父に連れられて登っていたため山と歩くことが好きに。登山の際に見る山間集落に興味を持ち、2024年現在は大学院で山村の暮らしや伝統文化についての研究に勤しむ。
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