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大ナゴヤノート.
2023年12月28日

勘違いに導かれて出会った茶道

とある平日のお昼どき、私はランチのお店を探しながらオフィス近くにある商店街を歩いていました。ふと目に留まったのは、外にある手水鉢と雪見障子の隙間からのぞく畳の部屋。和カフェのような印象です。入口に置いてあるチラシには、「要予約」と書かれているではありませんか。「予約が必要だなんて、きっとおいしいに違いない」。ところが――。

ひょんなことから茶道教室へ

さっそく予約画面にアクセスすると、なんと「茶道教室」と書かれていたのです。「和カフェって茶道教室もやるんだ」という驚きとともに、茶道と聞いて思い浮かんだのは、裕福な家庭の子どもが習っているイメージ。「私に茶道なんて似合わないからやめておこうかな」そんな考えが頭をよぎりました。しかし、私には愛知県にあるおいしい飲食店を制覇する野望があります。すでに訪れた数は数百軒。ここまで来て、似合う、似合わないで諦めるわけにはいきません。「和カフェが開く茶道教室であれば、そこまで本格的なものではなく、1日体験みたいなものでしょう。正座して、湯呑を回すだけ。あとはお茶を飲んで、和菓子を食べれば良いのだ」と開き直り、申し込んでみました。

当日、再び訪れたその場所には「和水香庵」と書かれた旗が。茶室内には着物や袴姿の人たちが集まっていました。普段着を着ている私は「場違いなところに来たかな」と思いましたが、スーツ姿の人もいたので一安心です。ところが稽古が始まると、戸惑うことばかり。茶道は入室の仕方や歩き方や座り方、茶の飲み方など一つひとつの所作があるのです。

稽古が終わった後の稽古料の支払いでは、他の受講者はきっちりとお札を封筒に入れて、扇子の上に載せて先生に渡していました。お札の向きも揃えず、剝き出しのまま支払っている私とは雲泥の差。先生は「はじめての経験ですからね」と丁寧にご指導くださいましたが、私は舐めていた自分自身を叱ってやりたい気持ちに…。
帰宅後、張りつめていた糸が切れて一気に力が抜けました。新しい学びが多すぎて頭はパンクしそう。なのに、なぜか心はすごく満たされています。求めていたものに出会えた感覚。これを機に茶道を学ぶことに決めました。

見て覚える流派、表千家。苦戦の日々

教室に通い始めたものの、不器用で物覚えの悪い私。教わっても次から次へと忘れるため悪戦苦闘の連続です。家で練習しようにも私が学ぶ表千家は口頭伝承が主なので、教材はあまり出回っていません。

ある日の稽古では、使われた道具の名前の確認をする「道具の拝見」で、先生に「お茶器は」「お茶杓は」と尋ねるべきところを、間違えて「お名前は」と問うてしまいました。まるで先生の名前を聞いているかのよう。恥ずかしさのあまり畳を剥がして床下に潜り込みたくなります。道は険しい。

ただ、思わぬところで大ナゴヤノート.での学びが活きた経験もあります。稽古中、掛け物を拝見した際に、先生から「ここに描かれているのは、なんだかわかりますか」と尋ねられました。以前の私ならわかるはずもありませんが、そこにいたのは鍾馗様。エディターの“瓦を追うひと”わっきぃさんから魔除けの神様として教わっていました。私が答えると、「よくご存じでしたね」との言葉。わっきぃさん、ありがとうございます。

垣間見えた兆しと広がる幅

何度か稽古に行ってもつまずくことが多く、このままではいつまで経っても身につかないと思い、教室に通う頻度を上げてみました。稽古を重ねるうちに心にゆとりができ、ただ動作を覚えるのではなく、所作の意味について理解していこうとします。例えば茶碗と菓子器の取り扱いの違い。茶碗は亭主によって畳の縁の外に置かれ、客が縁の内側に取り入れる一方、菓子器は畳の縁の外に置かれても縁の内側には取り入れず、そこから茶菓子のみを取ります。畳縁の内側に入れるか入れないか、その違いに惑わされ、たびたび間違えてしまいました。なぜこのような違いがあるのか、先生に尋ねてみると…。

茶道が始まった時代には疫病が蔓延していたのです。畳の縁は結界の意味をもつほか、相手と自分の領域を示す役割があります。それで、みんなの共有物である菓子器は縁の外に置いているのですよ。

先人の知恵と工夫から生まれた違いが興味深いです。

ゆとりができると、これまでとは別の茶道の面白さに気づくようになりました。茶室に入れば稽古のたびに入れ替えられている調度品から季節の移ろいが伝わってきます。その中でも掛け軸は心がざわざわと揺らぎ、吸い込まれそうに。亭主がお茶を点て始め、湯が注がれる乾いた音を聞くと、緊張が解けていくのです。稽古が進むほど、不思議ですが心が安らいでいくのを感じます。

茶道には他にも、一連の所作の一部を切り出して練習する割り稽古というものがあります。ペアになり袱紗さばきを教え合う人たちもいれば、釜の前で柄杓(ひしゃく)の扱い方を練習する人もいて、初体験の人には先生が茶道について説きます。六畳一間で年齢を問わずにお互いに教え、学び合う場所。どこかあたたかい、この空間そのものが好きなのだと気づきました。もちろん、はじめの目的だった薄茶も季節の和菓子もおいしく感じられます。


思いもよらぬ偶然から茶道を学び始めましたが、まだ「さ」の字もわかっていない気がします。いまだに基礎的な所作を間違え、しょっちゅう固まってしまうけれど、教材では学びにくいからこそ、徐々に他の人の動きの観察を心がけるようになりました。いつか人のふるまいから自然と学べるようになりたいものです。人生100年ともいわれる時代ですから、ゆったりとしたペースで自分なりに茶道の楽しさを探求していこうと思います。
写真提供:和水香庵
写真:ジェイ

ジェイ

大阪府生まれ。小学生で神奈川県へ。東京の大学を卒業し、就職後、名古屋へ配属される。子どもの頃から引っ越しを繰り返し、地元愛を感じられる場所を持たないため、愛知を地元にすべく、大ナゴヤ大学のボランティアスタッフとして活動中。
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