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大ナゴヤノート.
2020年01月08日

昔々の記録からみえてくるまちの未知の姿

「大ナゴヤノート.」がスタートして、もうすぐ1年がたちます。

「まちを見つめて、書きとめて」を合言葉に、エディターがそれぞれの視点からまちを切り取ってきました。ふらりとまちを歩く。気になるヒトを取り上げる。大好きなモノを通してまちを見る。個性豊かなエディターぞろいで、編集会議のやりとりもなかなかに刺激的です。記事を読んだ人が、エディターたちの「面白い」をヒントに、まだ知らないまちの見方に気づき、視点が変わったらうれしいなと思っています。

ということで今回は、そんなまちの見方に関するお話をひとつ。昨年の大ナゴヤ大学の企画や「大ナゴヤノート.」の取材での経験をもとに、昔々に記された文書からまちをのぞく面白さをご紹介します。

名古屋城本丸御殿の「忠実な復元」の裏側

豪華絢爛な名古屋城本丸御殿。「忠実な復元」は何を手がかりになされたのでしょうか?

2019年11月、名古屋城本丸御殿の孔雀之間で「だれでも古文書さんぽ〜金城温古録×本丸御殿〜」という講座が開かれ、大ナゴヤ大学も企画に関わりました。2018年までに3期にわたる復元工事が完了し、一般公開されている本丸御殿。何度足を運んでも、豪華絢爛な建築、絵画、装飾などの細部に宿る一流の技術にほれぼれします。復元された本丸御殿は、戦火で焼失する前の姿そのままだと注目を集めてきました。名古屋城のWebサイトには、「近世城郭御殿の最高傑作」との見出しとともにこんな説明が。

幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。(名古屋城Webサイトより)

忠実な復元と聞いて「すごいなぁ」と感心しますよね。でも、何をもって「忠実に」と言っているのか、その根拠を深く考えたことはありますか?「第一級の史料って何?」なんて思う人は少ないと思います。

上述した11月の講座は、復元の手がかりのひとつとなった「金城温古録」という史料について深く知り、その記述が今の本丸御殿にどう反映されているのか実際に見てみようという内容。名古屋市博物館学芸員の桐原千文先生に「金城温古録」編纂の裏側も含めて解説してもらいました。「金城温古録」は、江戸時代後期から明治時代まで、何十年もの歳月をかけて編纂された名古屋城の百科事典といわれる書物です。尾張藩士・奥村得義(かつよし)と息子の定(さだめ)によって、名古屋城にまつわる膨大な情報がまとめられました。奥村得義が他の業務もありながらコツコツと編纂を進めていたこと。紙などの材料費を工面するために読み書きを教える教室を開いていたこと。数々のエピソードからは苦労がうかがえます。

そんな奥村親子が残した記録は、ふすまの柄、畳の枚数など実に詳細です。講座が開かれた孔雀之間の記述と自分たちのいる場所を見比べると、確かに史料通りの間取りになっている(ふすまの絵が描かれていない部分もあります。そこは想像力をはたらかせて楽しみました)。忠実な復元だという話にも納得です。「金城温古録」を作成するために尽力した奥村親子への尊敬の念も湧いてきます。復元でどんな史料が参照されたのかを知ることで、本丸御殿へのさらなる興味を持てました。金城温古録を片手に、改めてじっくりと歩いてみるのも面白そうです。

講座で配布された本丸御殿復元事業の資料。図面に「金城温古録」の記述が書き添えられています。

身近なところにあるまちの歴史を語る史料

とはいえ、「そんな江戸時代の史料、簡単には手に入らないし、読むのも難しいでしょ」と思う人もいるかもしれませんね。

たしかに、手軽に読めますとは言いがたいですが、目にするのは案外簡単です。例えば「金城温古録」は、名古屋市制70周年を記念して出版された「名古屋叢書」というシリーズ本の中に活字になって収められており、PDFデータを収録したCDも販売されています。興味があれば、何が記されていたかは、愛知県内の図書館でも読むことが可能です。

また、解読は一朝一夕にはできませんが、博物館に展示されているような、うねうねとしたくずし字で書かれた史料にいきなり挑戦する必要はありません。図書館や資料館には、すでに解読されて活字で出版された読みやすい史料もたくさんあります。例えば「〇〇市史」「△△町史」などの郷土史を読むのもオススメです。編纂に使われた史料がそのまま「資料編」としてまとめられている場合もあります。

私も「大ナゴヤノート.」で笠寺観音を取り上げた際には、愛知県図書館で「名古屋市史」や南区の「郷土史」を読んでから取材に行きました。情報収集のおかげで気がついた事実がいくつもあります。(記事はコチラ

笠寺観音に隣接する墓地の一角にある切支丹燈籠(きりしたんとうろう)。下調べなしには見つけられませんでした。どんな燈籠かは笠寺観音の記事でご紹介しています。

「ここに書いてあるのはこれか」とうなずきながら歩くのは楽しいですよ。読みやすい史料から始めてみると、徐々に旧字体の漢字や昔の仮名遣いが分かるようになるでしょう。だんだん読めるようになる成長感もひとつの楽しみになるはず。
あなたも身近なまちにまつわる史料に目を向けてみませんか?自分の周りの見え方が変わるような、面白い発見があると思いますよ。

小林優太

愛知県あま市出身。キャッチフレーズは「あま市と歴史とラッコを愛す」。普段は、コピーライターだったり、大学講師だったり、まちづくりに関わる人だったり。大ナゴヤ大学では、2012年からボランティアスタッフ、授業コーディネーターなどで活動。
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