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大ナゴヤノート.
2020年02月19日

移り変わるまちなかに残る記憶
-伏見駅のモザイク壁画と私-

小学5年生の頃、週末になると頻繁に名古屋市科学館に足を運んでいました。動物や植物、恐竜、鉱物…いろんなものが好きだったけれど、特に心をつかんだのが宇宙と星座。暇を見つけては図鑑を手に取ったり星座にまつわる神話を読みふけったりしていて、親に頼んで「天文クラブ」に入れてもらいました。「天文クラブ」の日は、父に連れられて地下鉄伏見駅の改札を抜け、科学館最寄りの5番出口をめざします。その足取りはいつも軽やかでした。

時は変わって2019年。平日の朝、私は昔と同じく伏見駅の改札を抜け、5番出口に向かって歩いています。違う点といえば行き先が会社のオフィスであること。伏見エリアで働き始め、ここはすっかり「働くまち」となりました。でも、子ども時代と同じく迎えてくれるものがあります。それは駅構内のモザイク壁画。出口近くの壁にはモザイクタイルでさまざまな星座が描かれています。うしかい座とりょうけん座、おおぐま座、てんびん座におとめ座…星座をたどれば、出口はもう目の前。大人になり、毎朝の満員電車に憂鬱になってしまう私の心も、少し軽くなっています。

出口の様子も、子ども時代の印象からほとんど変わっていません。

伏見駅では、2016年から工事が行われてきました。駅ナカ商業施設「ヨリマチFUSHIMI」整備のためです。秋には工事が佳境を迎え、朝の通勤ラッシュの時間帯も工事の音が鳴り響くように。私といえば、ある言葉が頭から離れなくなっていました。

モザイク壁画は、ある日見られなくなってしまう。

以前「大ナゴヤノート.」で取材させていただいた森上千穂さんの言葉です(記事はこちら)。記事にはありませんが、取材の中では「伏見駅のモザイク壁画は、過去の工事の関係で半分がなくなってしまった」とも教えてくださいました。星座が見られなくなる「ある日」が来てしまうかもしれない。そう思ってからは、毎朝モザイク壁画を「生存確認」するのが日課になりました。

実は、森上さんに教えていただくまで「モザイク壁画の半分がなくなっていたこと」にまったく気づいていなかったのです。大のお気に入りだったのに。毎朝の日課は「もう忘れたくない」という思いがさせていたのかもしれません。

そして2019年12月11日。ヨリマチFUSHIMIはオープンを迎えました。モザイク壁画はどうなったのでしょうか。

四隅はフレームで縁取られ、スポットライトで照らされています。

工事で取り払われなかったことに胸をなでおろしました。それと、少し感動もしました。それまでは壁面の装飾だったモザイク壁画が、まるで額装された絵画みたいに扱われていたから。新しくなった構内にもなじんでいて、さらに素敵になったと感じました。大人になった今も、やっぱり心が弾みます。

今回、記事を書くにあたってインターネットで「伏見駅 モザイク壁画」「伏見駅 モザイク画」などで検索してみたのですが、原画作者や制作者、制作の経緯など、詳しい情報は見つけられず…。唯一見つけられたのが、この壁画が制作されたのは1970年代ということ。50年近くにわたって、多くの人が行き交う様子を見守ってきたのですね。伏見駅だけでなく、ナゴヤではここ数年さまざまなスポットのリニューアル工事が進んでいます。新しい風景に出会えるわくわくもある一方で、様変わりする様子に寂しさも感じられます。でも目を凝らしてみると、まちの中にはちゃんと「記憶とつながる、まちの記録」が残されているのでは。私にとってそれが、伏見駅のモザイク壁画です。

余談:小学5年生の頃に入会したのは、正しくは「サイエンスクラブ」。「天文クラブ」は一般向けクラスの名称でしたが、なぜか当時「天文クラブ」と思い込んでいたようです…。

写真:いとうえん

伊藤 成美

名古屋市生まれ、瀬戸市育ち。デザイナーや玩具の企画開発アシスタント、学習塾教材制作などを経て、縁あってwebメディア運営会社のライター職に就く。インタビュー記事の執筆を中心に経験を積んだ後、フリーランスに。大ナゴヤ大学では、ボラスタや授業コーディネーターとして活動中。
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